人としての本質こそが介護の鍵

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人としての本質こそが介護の鍵

2009年2月26日


先日、私の家族について記事を書きました。http://kintokaigo.seesaa.net/article/114010061.html

その後の父の経過は決して笑えるものではありません。しかし、多くの方に励ましのメッセージをいただき、嬉しく思います。ありがとうございます。



以前私が勤めていた民間介護企業の営業所が閉鎖になるという知らせを受けました。当時のことを色々と思い返します。

お客様のため、お客様への最高の満足と喜びと生きがいを支援すること。。。

私やヘルパーさんがお客様への介護を提供することで、それを得ていただけるのだと信じて日々現場に入っていました。

私は自分の現場の中でお客様の笑顔、信頼、感謝を得るたびに、自分の介護がお客様やご家族様の喜びや満足を生み出せていると感じていました。

しかし、今思うとお客様たちが得ていたものは違うものだったのではないか?と感じています。




私は性格的にすぐ顔に出るタイプではあります。それでも現場では若いお兄さん(おじさんじゃないですよ)、冗談ばっかり言うお兄さんです。職場でも一応の管理職です。

そして、家族の中では一応しっかりとした長男です。



自分としては普段はあまり気にせずに日々を過ごしています。それでも、感じる人は感じるものですね。そして、人は元来“気づく”力を持っています。


利用者のTさん。私の顔をじっとのぞきこみ、「kinsan・・・何かあったんでしょ?元気ないよ」と核心に触れてくる言葉をおっしゃいます。そういう言葉を投げかけてそこで止まる方もたくさんいらっしゃいます。

しかし、Tさんは続けました。


「彼女?仕事?ご家族?」


“ご家族”という言葉に私が無意識の反応を示したことを見逃さなかったんでしょうね。Tさんの「何かあったなら話してごらん」という言葉にポツリポツリと私は自分の家族についてTさんにこぼしていきました。


それからTさんがデイに来る時は、笑顔で冗談をおっしゃいながらも、私の心と表情を気にされていることが感じられるようになりました。


正直なところ、最近のTさんが苦手でした。私の心の琴線に触れてくること、心配してくれていること。自分がため込んでいるたくさんのダムの水。それを決壊させまいと私は必死に水門を閉めています。しかしTさんは水門を開けてこようとするのです。

どうしてでしょうね?社会人としての防衛機制でしょうか?このダムの水を私はどうしても決壊させたくなかった。



先日、私が事務をしていると、Tさんは近くも遠くもない絶妙な距離を保って、「ご飯は食べてるの?睡眠はとれてるの?」と言葉を投げかけてきました。

私は「えぇ、まぁ、そうですね」という曖昧な言葉で対応していました。介護職という援助者としては、利用者さんの言葉を適当に聞き流している状態です。


Tさんは急に黙り、ジッと私を見つめていたようです。私はふと、「あれ?Tさんがしゃべってない」と思って、Tさんを見ました。


瞬間視線が合いました。


Tさんが何とも言えない、優しいまなざしで私を見つめて、微笑みました。


そして、おもむろに立ち上がり、私の傍までヨロヨロ歩いてきました。


そして「無理しなくていいんだよ」と私の背中をポンポンと叩いてくれました。。。





ものすごかったです。。。背中から2回感じたTさんの手が私の水門を開ける鍵でした。





水門が一気に開放され、私がため込んでいた大量の水が一気にあふれ出てきました。止めようとすればする程、奥にため込んだ水が全部あふれてきました。



花粉症用のマスクをしていてよかったです。




静養室へ逃げ込み、ひたすらダムの水を流しました。一度開いた水門はもう水をせき止められませんでした。。。
たくさんの水とそれが流れる地鳴りのような震えが辺りに響いていたでしょう。


ダムの底に沈んでいたヘドロのような嫌な思い、近い将来かもしれない想像したくない現実。過去に犯した過ち。喜び。後悔。

全てが流れ出る水とともにあふれては消えていきました。




不思議ですが、全ての水が流れ出た後は空っぽのダムでしたが、小さくても綺麗な虹がかかっていました。




悪夢というのでしょうか。最近はあまり眠れません。朝が一番最悪です。吐き気、眩暈、頭痛。。。

ストレスをストレスと感じず、気にしたってしょうがない!今できることを考えて行動する!というのが信条な私です。

しかし、さすがにこんなに自分の体が悲鳴をあげるとは思っていませんでした。だからダムの水が一杯になっていたんでしょう。



Tさんは知っていてか、無意識にか、その水を全て流して小さくも綺麗な虹を見せてくれました。


その後の全てを知っているような満足気なTさんの顔が小憎たらしかったです(笑)




人は元来、相手を想い、関わろうとする生き物なのでしょう。どこかで読んだのですが、キリスト教もユダヤ教もイスラム教も仏教も全て究極的には言っていること、真理は一つだそうです。


『隣人を自分のように愛しなさい』


日本人は民族的に馴染みが少ないですが、宗教が世界的、歴史的に人類に広がっていることは、それぞれの教理が人の真理や真髄を言い表している哲学だからだと思います。だからこそ、結局は言ってることの根本は同じなのです。違うのは祈る対象が神かアッラーフか仏かヤハウェかということ、その他です。

まぁ宗教に関しては置いておきますが、Tさんを通じて、人は本来この本質を身につけているのだと感じました。



仏頂面で座って動かない男性利用者でも、他の認知症の方が繰り返すご家族の悲しい話を聞いていると、「ご苦労なさったね」とただ一緒に泣いています。



人は本来、社会福祉援助技術とか言われる“傾聴”とか“共感”とか“承認”とかそんなものを自然にできる生き物なんです。

特に利用者さんや高齢者だからというわけではないと思います。何かを失ったり、多くの経験をしている人ほどその“人”本来の本質を自然に発揮できるようです。


むしろそれを意識的に技術としてやらなければならない私たち介護職の方が不自然かも知れません。本質ではなく何か目先の技術や知識で課題解決に走ってしまう気がします。



介護は技術知識よりも、人柄とか性格、気質が大事。向き不向きがあるという意見もよく聞きます。だから性格が介護に向いてなければきついと。


それは正しいかもしれません。職業に向き不向きはあるかもしれません。しかし、究極的には介護は人が本来持っている人としての自然な“らしさ”=『他者を自分のことのように感じて何とかしてあげよう』という本質が発揮されたらよいのかもしれません。

現役世代はこの“何とかしてあげよう”が物理的、現実的課題解決に向かってしまうかもしれませんが、本来の本質を発揮している利用者さんたちは“何とかしてあげよう”ではなく『今自分にできる最善の手段』を自然にやっているのですね。


Tさんにしろ、寡黙な男性利用者にしろ、人としての本質を最大限発揮して、自然に今できる最善のことで相手に寄り添おうとしているのです。

そして、他のどんな物理的、現実的課題解決よりも、そういうTさんたちの支援の方が人は救われるのだと体験しました。



私に感謝を述べてくれた以前の会社のお客様たちも、私の支援という行為ではなく、私が無意識に発揮していた人としての本質的支援に感謝していたのかもしれません。



人の本質から発揮される支援。これは人であれば誰しもが必ず持っているものです。これを発揮しながら、それを最大限に発揮させるために知識や技術を身につけていきたいですね。
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この記事へのコメント
今日はお疲れ!
疲れてるはずなのに、全然眠れなくて夜更かし中です。
久し振りにブログ見に来たら、大変なことになっていたんだね。。
そんなことみじんも感じさせない金ちゃんにびっくりだよ。
(まあ、私に気づきがないだけってのもあるけど)
私の同僚は仕事量に加え、父親が脳梗塞で倒れたことが重なって心を病んでしまったから、金ちゃんも、(周りが良い人ばかりだから、大丈夫とは思うけど)どうかしょい込みすぎずに。
Posted by かえるぼん at 2009年03月16日 02:57
かえるぼんさんコメントありがとうございます!

表に出さないような性格ですからねぇ。まぁ、このブログでも書いてますが、そういう秘められた人の想いというものはやはり人によって解放されるんですね。純粋な利用者さんたちの想いにふれて心が軽くなっていますよ。

本日は体が非常に重いです。。。昨日の激しい運動のせいでしょう(涙)
Posted by kinan at 2009年03月16日 07:52
遡り読ませて頂きました。
なるほど・・kinsanのお人柄の所以が少しですが解りました。
大変な事があったのですね。
20代は父親の存在の大きさを再確認する時期でもあります。
そんな時の不安は想像を遥かに超えます。
私には解ります。
人の痛みが解るお人とお見受けします。
これからも宜しくお願いします。
Posted by Rosario at 2009年12月21日 14:53
Rosarioさんコメントありがとうございます。

ありがとうございます。今でこそ社会復帰を果たした父ですが、一年前は本当に辛い日々でした。

人の痛みが解る・・・

恐縮です。

ただ、自分が痛みを経験したからこそ、少しだけ相手の痛みにも想いを馳せることができるようになったのかもしれません。

経験は人を成長させてくれますね。そのことを多くの人から学ばせていただいております。

今後ともよろしくお願いいたします!
Posted by kinsan at 2009年12月21日 20:57
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