学びを深めることは良いことだが・・・

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学びを深めることは良いことだが・・・

2009年10月10日


介護の専門性を確立して、社会的に専門的な職業だと認知されたら介護職の待遇は改善されるでしょうか?

私はそれを望んでいますし、そうなるように願って介護の専門性について追求しています。


しかし、仮に社会的に認められる専門職になったとしても、介護職全員の一律ベースアップということはかなり実現困難だと思います。


理由は、一律にアップさせるには介護の職業特性と専門性を示すだけの評価スケールが存在しないからです。
つまり、介護職のアプローチがいかに高度な専門性に裏付けられており、どれだけの結果が出せたか、有用性を示せたかが表しにくいため、それができる介護職は専門的であるとして、介護職全員の待遇を一律に上げることが困難なのです。


待遇アップは全員ではなく、更なる向上心を持って自己研鑽に励んだ介護職に与えられるようになるでしょう。
つまり、新たな資格や認定をするのです。



あなたはご存知でしょうか?

看護業界にはある特定分野の看護に長けた『認定看護師』なる人たちがいます。

たとえば癌化学療法看護、緩和医療看護、新生児集中ケア等です。

看護師の国家資格という基本上に更なる専門性として経験、知識、技術を身につけ、研修、試験などをパスして与えられるものです。


私は介護業界においても、ある特定分野における介護の専門性に資格なり一定の社会的評価を与えることが起こると思います。

というか、実はすでに起きています。

みなさんが1番ご存知なのは認知症ケア専門士でしょう。

その他にも介護福祉士会等では介護福祉士のスキルアップや生涯学習を目指してそのような様々な分野における“認定介護福祉士”のようなものを創設する動きがあると聞きます。


介護福祉士というベースの資格に加え、認定介護士という“得意分野”を持つことで介護職は待遇アップが望めるかもしれません。

ただし、ベースとなる介護福祉士自体が未だ専門性を持った資格とは言い切れないことも事実です。

ヘルパーで生活援助ばかりやっていて身体介護ができない介護福祉士だってざらにいます。


その上に特定分野の専門的介護職ができても足元が揺らいでしまうのではないでしょうか?



また、特定分野の“特定”とされるものは何でしょうか?



それは主に病気や症状ではないかと思います。

認知症介護士、失語症介護士、パーキンソン病介護士、ALS介護士等。

しかし、私たちが展開する介護というものは病気や症状が対象ではなく、それらを持ちながら生きにくさを抱えた“人”なのです。


それを忘れてしまったら、認定介護士はなまじ専門的であると社会的に認められることによって1番大切なことを見失ってしまうのではないかと危惧します。



認定介護士なる特定分野の専門性によって社会的承認を得て介護職の待遇向上を目指す動きは間違いない流れだと思います。



専門職としてのアイデンティティ、待遇向上、質の向上等を目指す上で、そのような特定分野の資格化や認定化が起きることは自然なことだと思います。
また、私たちは常に目の前の人のために力になりたいと願うからこそ更なる自己研鑽に努めます。
その想いが間違った方向に行かないためにも、ベースとなる資格や養成機関、現場において介護の普遍的な意義、介護の専門性というものの確立が必要なのです。
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介護の専門性新提案の学びを深めることは良いことだが・・・のリンクについて

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この記事へのコメント
じっくりと読ませていただきました。
なるほど、と思いました。

現在ある国家資格から
さらに差別化が図られる、という動きは
評価されるものだと思います。

ただ、冒頭で
「この仕事の専門性を計る評価スケールがない」
と書かれているので、
評価しにくい仕事の資格の何を持って
その専門性とするか。

例に挙げられた認知症ケア専門士
(私も資格取得者ですが)
の認知症の専門性(知識・技術)は
何でしょうね。
私はあいまいな資格だという認識です。

そのあいまいな資格に対して
対価を払うことになるかどうか。

ただ、今年度の報酬改定で
「介護福祉士一定割合いれば、加算がつく」
など、介護福祉士の資格さえ持っていれば
お金が増える、ということになっているので、
あいまいなものにも対価は支払われるのだな、
と思います。

介護の専門性。
もっと追求してほしいと
私は願う立場です。
Posted by 田中大造 at 2009年10月10日 10:51
ちょっとだけ久しぶりです!
コメントさせてくださいね♪
評価の話ですが、看護師はどうなんでしょう・・・?私の勉強不足かもしれませんが、私の知る限りでは看護師も同じではないか?と思ってしまいます。確かに、新人・現任教育などに関する評価スケールというものは、介護福祉士なんて足元にも及ばないほど充実しているとは思いますが・・・。それとも看護師には社会から認められるための評価スケールというものが存在するのでしょうか?
なんにせよ、評価スケールなるものを構築するには学問としての体系化(専門性の確立?)は必須でしょうし、それが最優先だとも思います。学問の体系化・・・介護と看護の大きな違いの一つではないでしょうかね。それと、個人的に感じるのは「介護報酬改定」や「認定介護士の確立」然り、介護福祉士(会)や介護・福祉を取り巻く社会の動向がとても効率的・効果的ではないということです。
優先順位はわかりませんが、他にも先に取り組むべき課題があるような気がしてなりません。
そして何より、介護福祉士でいうなら、この現状を生み出している最大(?)の要因は、現場と職能団体との距離ではないかと考えています。社会的認知の向上を望むのであれば、現場の介護福祉士一人ひとりが自覚的にその事に対して動くべきです。考えるべきです。
個人的にはそのように考えていますが、とても大きな課題です・・・。
専門性の探求そして確立は私たち介護職にとって、すべてにかかわる根幹です。ホント日々勉強なんだと思い知らされます・・・。いつも考えるテーマをありがとうございます!
コメントのつもりだったのですが・・・長文失礼しました。
Posted by ケアマン at 2009年10月10日 20:06
田中大造さんコメントありがとうございます!

認知症ケア専門士をお持ちなんですね。その方がその資格に対する違和感を持っていらっしゃることは貴重なご意見です。ありがとうございます。

病気や障害に関する知識技術を持っていたとしても私たちはそれ自体を相手にするわけではありませんね。“人”を支援する、“対人援助”とは?そういう本質的なことを抜きにしてはいけないと思うのです。
いかに関連の知識技術を身につけたとしても、それが全て当てはまることは絶対にあり得ません。


個別性を訴えている業界のわりに、個別性からかけ離れていくのはなぜでしょうね。。。


私たちの仕事は誰でもできると思われているから社会的評価が低いのだと思います。現在の待遇向上に関する動きも、専門性に対する評価としてのものではなく、“離職を防ぐ、人材を引き寄せる”ための待遇向上ではないかという印象を拭えません。


私は、単に引き留めのための待遇向上ではなく、専門性に対する待遇向上を目指しています。

このブログもそんな目標への足掛かりだと思っています。田中大造さんもガンガン想いをぶつけてください。一緒に議論を深めてまいりましょう!
Posted by kinsan at 2009年10月10日 20:21
ケアマンさんコメントありがとうございます。

看護師の評価スケールについてまず。

医学という科学的エビデンスが数多く存在するバックボーンと、病院という労働環境から導き出せる看護(医療)の最大の特徴は『症状改善、軽減、完治、退院』等のわかりやすいゴールがあることです。

もちろん、慢性疾患や長期療養患者に対する看護は介護のように終わりが見えなかったり、完治というよりもなだらかな維持であることは確かです。

一般の人でも分かりやすいゴールがある分野と、介護のように結果や評価が難しい分野、この両方があるのが看護だと思います。

後者の看護分野は介護と同様にこの不確定なものにどう寄り添おうか、というケアの特性を多く秘めており、介護と同様の悩みを抱えているでしょう。しかし、できることが介護より明確です。
前者のようにゴールがある程度明確な分野では、如何により効率的に、早く、安全に等の視点からキュアという専門性を深めていくことができます。


以上のような現状に対して、特に前者の特性が広く一般に認識されたため、看護はより専門的だと言われているのだと思います。看護師の仕事に関するの具体的評価スケールは存じ上げませんが、このゴールに向かう具体的な方法論や評価は存在しているはずです。対してケアプランは改善見直ししながら終わりはありませんからね。


さて、評価スケールが必要であるとは思うのですが、二つ課題があります。

@介護という多様で広範な領域を扱う分野の評価をどのように行えるか?
Aそもそも、そんな個別性のあるものを評価すべきなのか?

ここをクリアせずとも、議論を深めておくことが必要だと思います。

ケアマンさんは@Aに関してはどのようにお考えですか?

よろしければこのコメントをご覧のたくさんの方にもご意見いただきたく存じます。



職能団体(=ここでは日本介護福祉士会でしょうね)と一介護職との距離は強く感じますね。国家資格の職能団体であるにもかかわらず、具体的数字は分かりませんがその在籍率はかなり低いですね。


これらのこと、社会的地位の向上に関して、はたして現場の一人一人の介護職にその自覚を求めることができるでしょうか?私は難しいと思います。単に意識が低いという問題ではなく、これは介護職の労働層を考えての理由です。

介護福祉士(ヘルパー資格もここでは含む)の中でも最高のスペシャリストを目指している方から、配偶者の扶養の範囲内で良いと考える介護福祉士、他事業所に登録して、生活支援だけで稼いでいる人まで幅広く有資格者であるからだと思います。

しかし、後者を専門的自覚が無いとして切り捨てることなんて絶対にできません。

したがいまして、職能団体が一律の自覚を促すというよりも、認定介護士なるステップアップ、生涯学習制度を作って雑多な有資格者の中から更なる自己研鑽を望むものにその道を示すことは王道だと思います。よいか悪いかは別として。他に方法が私も考えられません。


どうでしょう???


あぁ、なんだか現場の利用者さんのケアについて熱く議論するのと同じくらいこういうお話をするのが好きです♪ワクワク♪こちらこそ勉強させていただいております。ありがとうございます。ちょっとコメント欄でのやりとりではもったいないので記事カテゴリ作ってみます。
Posted by kinsan at 2009年10月10日 20:57
ご丁寧なコメント、ありがとうございます。

「人」を支援する。この部分の専門性とは?
評価するのが難しい、個別性があるから、
という意見だと思うのですが、
kinsanにひとつだけ質問があります。

本来、「人」を支援しない業種が
介護職以外にはないのでしょうか。

医師だって、看護師だって、PTだって
なんだって、
本質的には「人」を支援しているはずです。
専門化されて、その部分が見えにくくなっている、
また、そこまで意識が及ばない専門職は
大変多いと思いますが。

それを介護職の専門性は「人」を支援することだ、
と大声で言ってみても、「どの職種だってそんなことは考えているよ」と言われてしまうのでは?

それと、もうひとつだけ。

私は「その人の人生」を支援する
なんて、おこがましい、できるわけない、
という気持ちも持っています。

私みたいな若輩者が…、という感じです。



こんなマジな発言をさせていただいたのは、
kinsanの提案があったからです。
ありがとうございます。
これからも一緒に盛り上げていきましょう。
Posted by 田中大造 at 2009年10月11日 01:42
ふむふむ、なるほど〜・・・・
まずは、医療という科学的エビデンスを数多く持たなければならないのはkinsanが仰る「介護」も同じではないでしょうか。そして、「症状の改善や軽減、完治」というのも、その介護実践の結果として含まれているような気もします。もちろん、それが病理上のことであれば他職種(医師や看護師)との協同が不可欠ですが、結果を導くことはできると思います。
あらためて自己紹介しますと、私は重症心身障害児施設の現場で働く介護福祉士です。私たちの実践にはゴールがありません。そして、介護福祉士の倍の人数の看護師が勤務していますが、その看護師たちの看護にもゴールはありません。「こんなのは看護じゃない」と辞めていく看護師も後を絶ちませんが、そもそも看護の本質とは何でしょう・・・?例えば「洗濯」は看護か否か。私の答えは「Yes」です。私は看護師ではありませんので、私が考えている「看護」や「看護観」というものに異議を唱える方は数え切れない程いらっしゃるでしょう。まぁ、その前に恐ろしくてそんなこと言う勇気はありませんけどね(苦笑)
私の場合、このようにヘンテコリンなことばかり考えているので、介護と看護の違いもごく僅かであるように思えてしまいます。看護計画に関しても、ケアプランと同じように展開し続けることが基本的スタンスであるとも思います。しかしながら、このことも勉強不足です・・・。こうやって、コメントしていると痛感しちゃいますね(汗)
あ、kinsanからのお題がありましたね。。。頑張って答えなきゃとは思いますが、さすがにこれ以上コメントが長くなるのはkinsanも本位じゃないかもですから、またの機会に必ずお答えしますネ♪
もーう!kinsanが意義ある投げかけばっかりするから、私自身のブログが疎かになっちゃうじゃないですか><
Posted by ケアマン at 2009年10月11日 01:46
初めてコメントします。お書きの内容はわからないではないのですが、今の時点で「認定介護福祉士」の創設は反対です。認知症ケア専門士のような、それぞれの団体が認定するのは別にいいんですが、「療養介護士」の話がまだくすぶっていますよね?これはとんでもない話で、介護福祉士という国家資格の根底を揺るがすものだと思います。それよりも、まぁ国も動いてはいますが、介護福祉士のレベルの底上げが先でしょう。看護師だって、最初から今の社会的地位(というか認知)があったわけではありません。同じように論じるのは違うかと。看護師のレベルも様々ですが、だいたいは悪くても「腐っても看護師」レベルです。でも、介護福祉士は悪ければ「素人以下」ですよ。素人と言うと語弊がありますが、せめてご利用者さんやご家族に「さすが介護の専門家」と思われるレベルにないと。職能団体である介護福祉士会も、どうかと思いますし。あのアンケート結果は何なのでしょうか?
確かに、素晴らしい介護福祉士もたくさんいます。そういう方のために、なにより利用者さんのためにも、今後認定資格は必要になっていくでしょう。でも、今はとにかく「底上げ」をしないと、介護そのものが崩壊します。
ちょっと熱くなりました・・・。
Posted by gitanist at 2009年10月12日 00:22
田中大造さんご質問ありがとうございます。

この“人”を議論するといつもその質問をぶつけられます。納得いかれるかわかりませんが、お返事いたします。

http://kintokaigo.seesaa.net/article/119768407.htmlこちらの記事でも書いていますが、おっしゃる通り、対人援助職であればどの職種も本質的には“人”を支援しており、それが介護独自の専門性だということはできません。

ただ、介護は独自の専門領域が無くて、逆に他の職種にはある、これがポイントだと思います。

すなわち医師は医療という専門性が、OT、PT、ST等にはリハビリテーションという専門性があります。看護師にも業務独占できる専門領域があります。これらを持っていることを自他共に認められています。

故にこの職業アイデンティティと専門性を持たないで純粋に人として接することとのギャップが介護職よりも多いと思うのです。

自分は医者であり、人を治療すること、看護師は看護業務を行うことという専門性がある故に、その視点で自分のできる力を発揮しやすいです。


しかし、介護とは介護職自身が相手を支援するツールになり、その人がよりその人らしく生きる上で必要な要素、「役割、関係性、目標」を見出してもらえるような支援ができます。

一言で言ってしまうと『その人と、別の人をつなぐ橋渡し』です。

この、人を「役割、関係性、目標」によって他者とつなぐことって人が生きる上でとても重要なことで、例え身体的には不自由でも人の生きる力の原動力だと考えています。

人を支援する本質って一番はここだと私は考えています。だから、介護職は専門的領域が無い、もしくは広範であるがゆえに、ここが他の専門職よりもできると考えています。


ちょっと伝わりにくいかもしれません。このことは改めて記事にて考えを伝えられるように書きなおしたいと思います。


そして、その人の人生を支援することはできるわけない!ことは無いと思います。

人の人生は“人”にこそ支えられるものです。現役世代であれば自力でできるのかもしれませんが、介護が必要になった人は他者から意図的に人の支えをしなければなりません。

別に何も田中さん自身が一人で支えるものではありません。

人を支えるとは、より多くのもしくは強い“人”の支えを結びつけることです。田中さんたった一人とつながれば支えられる人もいますし、田中さんが橋渡しをしてより多くの人とその人を結びつけて支えることが必要な人もいます。


いずれにせよ、人を支える人になる、結びつける。これは介護職の一番大事な仕事の一つです。このことには遠慮や謙遜はされなくて良いと思います。これができなければ介護職としてのアイデンティティも無くなってしまうと私は思います。


本当にコメント嬉しいです。伝わらない部分多くてごめんなさい!
Posted by kinsan at 2009年10月12日 08:35
ケアマンさんお返事遅くなりました。ごめんなさい。

重症心身障害児施設で働かれているんですね。現在の『介護』は主に高齢者に絞った政策・議論が展開されています。介護は子どもからお年寄りまで必要な人は様々なはずです。しかし、私も含めまだその認識が足りないですね。介護現場以外の介護職の方のご意見は今後の介護を考える上でとても大切なご意見だと思います。

また、ケアマンさんの職場で働かれている看護師さんの苦悩もわからないではありません。職業アイデンティティがあるがゆえに悩むのでしょう。それは看護師さん含め、社会的に思われている看護師のイメージがプレッシャーとなっているのですね。

しかし、私も本来の看護は洗濯までする“ケア”の要素を多分に含んでいるものだと考えます。その人の内在的力を発揮するあらゆる環境を整えることが看護・介護=ケアの基本でしょう。


考えてみると、医療福祉の現場と言うのは一言で表現するには実に多様な対象者(利用者、患者、子ども、障害者、高齢者等)と現場(病院、在宅、施設等)が存在しています。その中で介護だけではなく看護や医療を一側面の立場から同義で語るには難しいものがありますね。今後は共通基盤を軸に様々な対象者や現場におけるそれぞれの職業アイデンティティや専門性が語られる必要があるかもしれません。


さて、私も介護において科学的エビデンスが必要だと思います。しかし、これも今述べたように対象者や現場によってその重要度が変わってくるのでしょうね。エビデンスに基づく介護が必要だが必要でもない。使ってはいけない。。。


この多重性、多面性を自覚してそれぞれの立場と対象者と現場における最善の“介護”をそれぞれの介護職が見出すことが一番大事であり基本なのですね。

なんだかコメント返答しながらそれに気づかせていただきました。ありがとうございます!!


貴ブログ更新の妨げになってしまい申し訳ございません。よろしければトラックバックして、貴ブログにて同じような、または別視点な記事を展開してくださいな♪
Posted by kinsan at 2009年10月13日 07:27
gitanistさん初コメントありがとうございました!お返事遅くなりごめんなさい!

「療養介護士」の話題は私もどうなのかな?と、かなり疑問を持ちました。gitanistさんと同意見です。しかし、とりあえず流れましたよね?確か?もはや現実的ではないと信じていますが。

さて介護職の“底上げ”は必要だと思います。必要だと思いますが、認定介護士のようなものが無い中での底上げは不可能だと思います。つまり私は資格の中身次第ですが「認定介護士」なるもの自体にはまずは賛成です。


gitanistさんはそもそも“底上げ”ってどうすればできると思いますか?

上記コメントでも書きましたが、現在の介護に携わる者(介護福祉士に限っても良いですが)全員一律の底上げはまず無理でしょう。介護の職業に対する意識レベルや生活状況の差が多分にある労働としての職業特性を持っていますから。

介護は今後専門性を向上させていかなければならない!!と声高に叫んで、研修や更新制度を設けても意識がそこに無い人や生活状況的に更なるステップアップを望まない人にとっては魅力はありません。



それでも今回の介護福祉士カリキュラムの大幅な改定によって、少しずつですが養成段階から変わってきていると思います。

しかし、新カリキュラムで養成された介護職も旧カリキュラムや人員不足等の現場に疲弊している介護職がたくさんいる現場に出ていけば長いものに巻かれるか、リアリティショックで業界を去る構図は変わらないでしょう。



なぜなら『いかに下から質の高い養成を受けた介護職が増えても、上の層の介護職が更なる向上を目指さなければ詰まるばかりで全体が向上しない』のです。


例を挙げますね。高速道路の料金所が開かなければどんどん後続の車両が詰まりますね。大渋滞です。中には高速から降りて一般道に行ったり、引き返すものも出てくるかもしれません。


“認定介護士”は長らく介護業界において専門性や質の向上を目指しつつもそれを目指すことができなかった人たちにとっては、まさに料金所のゲートを開く手段なのだと思います。


少しずつでもその認定介護士という一つ上の意識、専門性を身につけた介護職が増えれば、より良い介護現場を目指し、現場作りをするでしょう。認定介護士にはそのような学習内容や方法論等を学ぶこともあるようです。

意識が高い彼らが認定介護士という後押しを得て少しずつ業界を変えていくことで、後続の介護職たちが付いて行くことができる。すなわち全体の底上げができるのではないかと思います。



とまぁ、認定介護士肯定の意見を述べさせていただきましたが、一番大切なのは、その認定資格の内容ですね。。。これがお粗末なものだったらそれこそ全体が底上げどころか“底抜け”になります。



看護師に関してですが、認定看護師という制度によって、料金所のゲートが開き、また医療の科学的エビデンスの側面も後押しして上記のように看護師全体の底上げがなったと思います。

しかし、看護の難しい所は、医療とケアという側面を持っているところだと思います。つまり、下手をすると高度な医療的専門的看護と、在宅等のケア的要素が強い看護に二極化してしまうのです。というかしてますね。

前者は高めようとすればどんどん専門的になっていきますから、この二極化の溝は深まるばかりです。腐っても看護師ですが、全体の一律的底上げ、意志統一に関しては介護より難しいのではないかと私は考えています。

おそらく、腐っても看護師という言葉の中には看護師の前者的専門性だけを見てしまい、看護師への畏敬と劣等感をずっともたなければならない介護職の性(さが)が見えます。

それよりも、そんな看護師の状況を理解しつつ自分たちを見つめなおしながら連携の道を探らなければならないでしょう。看護師に対する介護職の性を捨て去り、介護という職業アイデンティティと自信、それに基づく実践の展開をする。それができて初めて「さすが介護の専門家」と呼ばれるのではないでしょうか。


偉そうにごめんなさい。いかがでしょうか?
Posted by kinsan at 2009年10月13日 08:35
kinsanこんばんわ!
お返事ありがとうございました!
いやいやいや・・・・「意義あるテーマだ!」ということを伝えたかっただけですよ。。。
批判的に受け取られたのでしたら、申し訳ございませんでした。
さて、kinsanからのお題にお答えしようと思うのですが、私はどうも文章力に乏しいようでして、コメントとするには長くなりそうなんです。
つきましては、メールでお答えしようかと考えているところなのですが、
恥ずかしながら、メールフォームの使い方が今ひとつ解りません・・・
「確認する」をクリックすると送信されるのでしょうか?
場違いなコメントで申し訳ないです。。。
Posted by ケアマン at 2009年10月13日 18:11
「腐っても看護師」というのは、最低限のレベルにはある、という意味で、自分は看護師に介護職が劣るものではないと思っています。そもそも土俵が違いますし(同じ部分もあるのですが。ただ、自分はその同じ部分に関してはやっぱり劣るものではないと思っています。ですから、看護職が介護職を下に見る風潮は非常に反発を覚えます)。ただ、介護職は、非常に悪く言ってしまえば、「ただのあんちゃん」とか「ただのおばちゃん」が存在します。これは大きな違いです。ただ、今後介護福祉士の資格要件が変わることで、改善は見られるでしょう(多分に期待を込めて)。レスを読んで、とても納得させられる部分が多いんですが(例えが上手ですね!)、現状の介護福祉士−ヘルパーが、認定介護福祉士−ただの介護福祉士になるだけで、大差は期待できない、というか、ますますレベルの差が広がって、やっぱり介護福祉士の存在意義が薄れる結果になるのではないか?という危惧があるんです。自分はそもそもヘルパー資格廃止には反対です。なぜなら、現状在宅介護の主力であるヘルパーさんは、やはり主婦層が多く、敷居を高くすることは介護職の減少に繋がりかねないと思うからです。ですので、ヘルパー資格は残し、介護福祉士の敷居を高くして、さらにそれに見合う賃金の保障をすることで介護職の人数、質をUPしていくことをまず考えるべきなのではないでしょうか。スキルアップのための認定資格はあってもいいと思いますが、それが逆に足枷になるリスクも考えないといけないでしょう(療養介護士なんて馬鹿げた話のように)。ちなみに、療養介護士はまだ消えていないみたいですよ。今、特養でモデル事業をやってますよね?この委員会の人間が(あえて名前は出しませんが、ひどい人です)TVで話してましたよ。「医療行為の一部解禁を考えるなら、介護職と看護職の間の資格が必要だ」みたいなことを。
Posted by gitanist at 2009年10月13日 23:50
ケアマンさんありがとうございます。


批判的に受け取ってませんよ♪ブログにコメントを寄せてくださる方々はみなさん真摯に介護業界を、現場を良くしたいと考えていらっしゃると感じています。しかし、字面だけのやりとりでは意思疎通に微妙な差異が生まれてしまうことが限界としてあります。

ですから、できるだけ頂戴した言葉には自分の考えを書いていくことでお互いの意思疎通の差異を減らしたいと思っていますので、書かせていただきました。

メールに関してですが、「内容を確認」して「送信」をクリックしていただけたら送れますのでよろしくお願いいたします!!

ご意見お待ち申し上げております。
Posted by kinsan at 2009年10月14日 07:01
gitanistさんありがとうございます。

療養介護士問題はそんなことになっているんですね。私の勉強不足です。委員会の人の発言の真意は定かではありませんが、なんのための国家資格か?全国の介護福祉士の根底を揺るがす発言ですね。。。困ったものです。


ある看護師さんが言ってました。

「看護師は本当に専門的な医療現場の看護師から、生活スタイルに合わせてできる範囲でやる準看護師まで多様な労働状況があり、それぞれが必要な現場が存在している。どちらの看護師も必要だし、どちらの看護師も看護師という社会的に大切な役割を担っている。みんなの立場で必要」

確かに、綺麗なまとめ方ではあります。

介護も、そういう広範な領域に様々な介護職が存在し、それぞれが必要不可欠だという認識が広がれば、両極端でもよいのかもしれません。


ただ、受ける側からすると、同じ介護職なのに、天と地との差があることはやはり困りますよね。だから両極端とはいっても、この差はできるだけ小さい方が良いのですが。。。


準看護師はいつか廃止にする、正看護師に移行する、統合するといいながら未だ実施されていません。やはり準看護師の存在も必要だからでしょう。

ヘルパーも同様に残ると思います。残さなくてはいけないでしょう。


全体の底上げ、それを保障する待遇も必要です。

しかし、単に上げたら良いかというとまた色々と課題がありますね。

待遇保障=介護業界の門戸が開かれる=色々な人材が流入する=質が今以上に雑多になる。

故に、やはり介護の料金所ゲートは開いておかないと流入してきた人、既存の人を導く先がないのだと思うのです。リスクは承知であえて。

専門性も確立し、質の向上のためのゲートも開け、後続の人々が働きやすい環境を整え、そしてそれらの人の最低限の保障をする。ゲートの先の人々が利権や濫用にならないようにする・・・

課題は山積みですね。

gitanistさんのご意見をうかがっていると、どの視点、考えも全て必要で解決に向かって取り組まなければいけないのだと感じました。それも同時に。
まずはこれ、次はこれという状態ではないんですね。

最後に同意見ですが、介護職は看護師と比べて下ではありません。土俵も違います。しかし重なる部分も多様にあります。職種同士で一律に上下関係を示せる程明確な差異は無いでしょう。あるとしたらそれぞれの職種の“個人差”です。

最高に尊敬できる看護師もいれば、最悪な看護師もいます。介護職も同じです。

それぞれの職域の存在意義と役割を明確に持って一番大切な対人援助という仕事を真摯に担っている人が多く、それらが連携し合えることが一番ですね。
Posted by kinsan at 2009年10月14日 07:28
kinsanこんにちは!
kinsanからのお返事を読んで、「やっぱコメントのほうがいいかな」と思いましたので、もちらに書き込ませていただきますね。
先に言っときます。文脈も内容もチンプンカンプンで非常に読みにくい文章となっております・・・。
それでは、Kinsanからのお題に対する回答はもちろん、私以外の方々のコメント内容や、それらに対するkinsanの返事内容も少しだけ含めて、私が思ったことをお伝えしたいと思います。
kinsanから投げかけられた@についてですが、難しすぎる課題です。解法も方法もわかりません。ただ、「評価」の前に「最低基準?」みたいなものが必要かと思ったりします。(勝手ながら、ここより先は「どう評価するか?」ではなく評価するための基準(?)について話をさせてください。)看護師という職種を持ち出して話すと、gitanistさんのコメントにあった「腐っても看護師」ってところだと思います。つまりは、二極性を持ちつつも一律されたものが看護師にはあるということです。私は、それこそが「業務独占」ってやつだと思っています。看護の本質がいかなるものであったとしても、この事は明確な基準だと思いますし、独占している業務を実践できる=最低基準とも考えられないでしょうか。実践できるかどうかを差し置いても、「実践する資格を有する」から「腐っても」という言葉に不思議と説得力を感じました。私は「業務独占」に対して、やっかみも劣等感もありません。もしも、kinsanが仰るような「性」をもって、このような考察をするのであれば大きな間違いですが、客観的な「ものさし」を持つということは大切なことだと思います。特に介護福祉士という職業でみれば、職業としての生成過程を考えると看護師に「ものさし」を当てて「自分たちに何が足りないか?何が必要か?」を考えることは不自然なことでもないと思います。しかしながら、矛盾しているようにもとれますが、職業としての高まり方を、ベースの違う看護師と対比(ましてや真似て)して論じるのは少し違うと思います。寧ろ個人的には、介護職の今を特別視している意見にこそ「性」を感じます。「人」を論ずることも、意識統一が難しいことも、「働く人」そのものの環境が違うことも、多様かつ広範な領域であることも、「K」が付くのも介護職だけが持つ特性ではありませんもの。。。(kinsanの記事にあるその情報は、伝えたいことの必要性をより訴えるための材料であると認識しています。誤解の無きよう。)
少し前置きが長くなりましたが、介護職の「最低基準?」みたいなものをカタチ作るためには「介護の本質」なるものを知ること(学問としての体系化)が必要です。そのことが最優先だと思います。仮に「介護の本質を理解すること」を最低基準とすれば、そこに留まらず、それ(介護の本質)を体現し社会から認められる結果を出さなければならないという事までは必然的に展開するはずですし、ここをもって最低基準となるということになります。このような観点から考えると、「業務独占」というわかり易いものがないだけに、純粋に「本質」だけを考えなければならないため、余計に難しい課題に感じてしまいます。しかし、だからこそ現場の介護職は余所見をせず、不平不満や言い訳ばかりを言うのではなく、解るべきことを解り、考えるべきことを考え、やるべき事をやらなければならないと考えています。Kinsanが指摘する「リアリティショック」も重々理解しているつもりです。しかし、私たちは現実に受け皿になってしまっているのです。リアリティショックを受けた新人を支えなきゃならないのは私たちです。現場や社会が、人材さらには「人財」までも求めているのであれば、受け皿である私たちが向上することは急務であり最優先課題ではないでしょうか。いかなる理由があろうと、その努力を放棄し、他の人々(向上心のある介護職)にまる投げするのはどうしても解せません。当然、このことを達成課題とするのは至極困難でしょう。様々な要因を考えれば、難しいどころか無理だと思います。しかし、努力課題としての存在は可能だと考えますし、この努力こそが「底上げ」につながっていくのではないかと考えています。
論点がズレまくって申し訳ありません。どうか「愛嬌」ってことでお納めください。
したがって、Aの答えも、評価できればされても良いとは思います。しかし、先述したようなことから、評価できるかどうかが分かりませんので、「なんとも言えません」というのが答えになります。こんだけ好き勝手に書き殴っといて、なんともキレの悪い回答で申し訳ありません。
改めて、今回の提案(記事)を読み返してみました。今の介護職に大切なことについて、しっかりと最後のまとめで言及なさっていますよね。現時点で予測できる未来像から「今の必要性」を論じていらっしゃるのだと理解しました。(間違った解釈でしたらスミマセン)私の読解力が足りないばかりに先走ってコメントしてしまったようです。申し訳ありませんでした。さらに、足元を見ずに先へ先へと急ぐ社会の動向や、まやかしだらけの政策、それらに踊らされている介護職を危惧するあまり、未来像の話題に対して敏感になり過ぎていたのだと思います。ご理解ください。
最後に、本質とは普遍であるはずです。立場やケアの対象者や職場の形態が違っても普遍であるはずです。私は重心介護を通して「介護の本質」を解りたいと考えています。程度はわかりませんが、そのこと(介護の本質)が介護職に定着した先には、kinsanが仰るようなそれぞれの立場での高まりが待っていると思います。
畑は違えど、私も介護現場で働く介護職です。またまた懲りもせずにコメントするかもしれません。トンチンカンなコメントばかりかもしれません。・・・・が、今後ともヨロシクお願いしますね♪

それでは、長々と失礼いたしました。
Posted by ケアマン at 2009年10月14日 11:31
ガチンコ論5を拝見しました。なかなか難しい表現なので何度か読み返しました。
「役割の拡大、修復、構築と余暇活動支援」はすべて「人間の関係性から成る」というように整理して話を進めないとややこしいので、「人間の関係性」によって「生命、生活、人生の活性化を図る」、つまり「QOLの向上を図る」ことが介護の専門領域だ、ということと解釈しました。

この論で言えることは、看護師は「文化」や「活性化」は看護領域が中心になって担えない、ということを言っているだけで、「介護職の専門性なのだ」という結論には成っていない、ということです。それは、Kinsanが最後のまとめのところで言っておられるとおりです。

次に、私がコメントで「人の人生なんて背負えるわけがない」といったのは、半分謙遜、半分真剣です。
Kinsanが言われる「人間の関係性」は本人と専門職とだけの関係性の狭い中での話のように感じます。また、専門職以外の人をコーディネートすることも専門性、と言われれば、「コーディネートすることが専門」といえば済むことではないか、と思います。
「専門職との関係性がQOLを向上させる」といっても、それは両者の間に金銭等が発生している間であって、仮にその職員が退職した場合などは、一気に関係性が崩れてしまいます。関係性が脆弱過ぎると思いませんか。
それよりなぜこんなことを書いたか、というと、人を支える、というとてつもない大きな目標を掲げて、そこに行き着くまでに挫折してしまう、燃え尽きてしまう、という人をたくさん見てきたからです。もしかしたら、過去の私もそうだったかもしれません。人を支える、ということがいったいどれほどのものなのか、Kinsanは十分に吟味されているかもしれませんが、私の感想はこういうことです。

つぎに看護が「健康」を指向する、という話ですが、もちろん看護は「健康」を指向するところもあると思いますが、私が看護師にイメージするのは、もう少し病気の部分を担うイメージです。学問でいえば、病理学の分野でしょうか。むしろ、「健康」を指向するのは介護の役割であろうと思います。特に高齢者に関わる介護職は。水分量、おしっこの管理、排便の様子、食事量の増減、散歩などの日中に活動量、睡眠の量と質、表情、顔色、浮腫のあるなし、など、看護が行う体温測定、血圧測定ではないバイタルサインをチェックすることは介護職にも経験、研修を積めば可能でしょう。このことは「健康」を見ていく仕事だと思います。学問でいえば、生理学、病態生理学ぐらいまでを介護職がカバーできればいいのかな、と思います。介護福祉士のカリキュラムに入れられないですかね。
「医学一般」みたいな広い範囲ではなく。

また、「認定介護士」の専門領域として、病気や症状をより理解している人が「認定介護士」となる、ということについて、やっぱり結局は、科学的根拠のある体系をもったものが専門性になるのだな、ということですね。私もそのことには賛成です。ただ、例に挙げられた「ALS介護士」などは、その病気を持った患者さんを対応するときに介護報酬の加算がつく、とかですか?そうすると、活躍の場があまりないような…。療養通所介護など医療依存度の高いサービスに対して配置されるとか、という感じですかね。認知症介護士は認知症グループホーム、とか。

最後に、何を専門領域にするか、ということについて、少しアイディアが浮かんだので提案します。批評するばかりじゃダメですから。
「文化」「活性化」などを介護職の専門性と標榜するなら、そちらの専門領域を考えてみてはどうでしょう。例えば、「終末ケア介護士」「自立支援介護士」「食介護士」など。
「終末ケア介護士」は看取りケアを専門的に学ぶ介護士、死後の処置などもできる。バイタルの変化も観察できる。
「自立支援介護士」はおもにADL自立のスペシャリスト。「健康面」の観察や、「リハビリ知識」に長けている。「解剖学」などが必須になりますか。
「食介護士」は糖尿病患者さん、透析患者さんの食生活支援ができる。「栄養学」を熟知している。
いずれにしても、エビデンスがあるものに依拠して専門性が成立する、ということは譲れないところですね。

ここまで書くのに多くの時間を費やしました。非常に難しいテーマをよくぞご提案くださいました。ひとまず代案まで出したので、私はこれ以上このことにコメントすることは止めたいと思います。…疲れました^^

宣伝させてくださいますか。http://ameblo.jp/method3573/で私もブログをしていますので、よろしければご訪問ください。もう少しライトな話題を提供しています^^v
Posted by 田中大造 at 2009年10月15日 10:42
ケアマンさん長文コメントありがとうございます。少し多忙であったことと、ケアマンさんのコメント量に対してじっくり考えて返答する時間が無く、お返事が遅くなってしまったことお詫びいたします。

私もお返事というよりも、コメントを頂いて色々と考えたことを書いてみたいと思います。

業務独占に関してですが、確かにこれがあることはすなわち“腐っても専門職”と言えるものですね。
しかし、名称独占の専門職を見てみると“管理栄養士”や“OT,PT,ST”、“保健師”等があり、業務独占ではありません。

しかし、介護に比べてなぜか専門性を持った職業だという印象を持ちます。それはやはり、一般人が持ち得ないような知識、技術であり、その知識技術が専門的であるということでしょう。科学的であったり、評価スケールがあったり。。。

介護はやはりここにぶつかるのでしょう。

でも、教育者や保育士等はどうでしょう?専門職とは言えないでしょうか?

彼らも介護職と同じように評価スケールがあまり存在しませんし、専門性を発揮した結果が対象とする人々の主観的価値観によって左右されていますね。

ですから、介護はこのように専門的知識技術を用いながらも、対象者の主観的価値観によって左右される専門職で、その主観的価値観にいかにアプローチできるかに専門性があると言えるかもしれません。(雑な言い方ですと、結局良いも悪いも相手次第だが、その相手次第の部分にアプローチすることに専門性を持つプロ)
このような特殊な領域を体系化する必要があるんですね。取り組んでみたいと思います。

現在、この観点でどうすれば評価ができるかを考え、現場で実践しようと試みを始めています。

形になるようでしたら、改めてご報告させていただきたいと思います。

コメント本当にありがとうございます。

介護の専門性の確立は難しい。しかし、何が難しいのかが分かれば少しずつでも前に進んでいけると思います。

ケアマンさんからのコメントにはそのためのヒントがたくさんありました。感謝いたします。

またいつでも遊びにいらしてくださいね!
Posted by kinsan at 2009年10月22日 11:38
田中大造さんコメントありがとうございます。お返事が大変遅くなってもうしわけございません。

久しぶりに自分でもガチンコ論を見ると、表現の稚拙さや、考えの甘さ、突っ込みどころがたくさん見えました。

こうして色々な方にご精査いただくことで、自分の考えや論が固まっていくことを実感しております。

>「人間の関係性」によって「生命、生活、人生の活性化を図る」、つまり「QOLの向上を図る」ことが介護の専門領域だ、ということと解釈しました。

この表現はとてもわかりやすいので今後参考にさせていただきます。


田中さんは、金銭を媒介にした利用者対専門職としての関係性の脆弱さに言及されていますね。
そう言われるととても納得できます。

ただ、全く身寄りがなく、人生の終末に絶望した人間に対して、たった一人でも手を差し伸ばしてくれる人がいれば、その人は救われるということを自分が現場で経験したために、自分自身が関係性の柱の一つになること、そしてそこからコーディネートしていくということが専門性として在ると信じています。

また、人を支えようとしてバーンアウトしていく人たちにこそ、人間性だけではなく、専門性(バーンアウトしないための)が必要だと思います。
介護は介護職が一心不乱に尽くすことではありません。それはただの慈善事業で、専門性とは程遠いものです。

しかし、自他共にそれが介護であるという認識が広がっていますね。私はそれを介護の専門性として払しょくしたいと考えています。


この業界は実に多様な現場が存在します。おっしゃるように、終末期介護士や自立支援介護士など科学的エビデンスに裏付けられた専門介護士の創設は遠くない話でしょう。ここに専門性を見出すことに私は反対しません。

しかし、これが介護だ!というとそれには反対です。

介護というものの一部分としての専門職介護士が生まれることを望みます。


本当に長文のコメントありがとうございます。

私自身も色々と考えさせられ、今後も頑張らなくてはならない個所を多分に発見できました。

ブログ拝見いたしました!!今後も遊びに行かせていただきますね!

コメントに対する返答になっていないかもしれませんがご了承ください。

ありがとうございました!

Posted by kinsan at 2009年10月22日 12:00
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