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問題ケースと言われる人たち

2009年10月20日


以前の職場でこんな女性がいました。

Kさん80代女性。一人暮らし。統合失調症。猫一匹。結婚歴はあるがずっと前に離婚。親類縁者なし。ご近所づきあいも無し。生活保護。


訪問介護で女性スタッフ限定のお宅でした。週に2回掃除と買物の訪問でした。


しかし、介護拒否やスタッフへの悪言雑言、罵倒がものすごく、スタッフの不満も相当なものでした。正直な話、依頼してきたケースワーカーも困難ケースだということをわかっていたので、こちらから断ろうかとも思っていました。スタッフの消耗に見合う客単価ではないと当時の私は思っていたものです。



ある日、請求書と領収書の記載が違うというクレームをKさんからいただきました。介護請求ソフトを更新した際に起きた不手際でした。


私は早速Kさん宅に謝罪に行きました。


「帰れ!」

「おまえらの会社を潰してやる!」

「私を騙して金をふんだくろうってんだろ!」

「私の気持ちがわかるもんか!」

「助けて!男がか弱い老婆を食い物にする〜!」

「警察を呼ぶぞ!」



平々凡々な家庭で育った私にとって、浴びせられたことのない罵声でした。家にも入れてもらえず、2階から何かを投げ付けられました。ご近所の目もあって私は恥ずかしくて逃げ帰ってきました。



早速上司に報告し、スーツ姿の男3人で謝罪に行きましたが結果は同じでした。



Kさんの対応が協議されました。



と言っても請求をどうするか?という内容です。



当時の自分がしていた介護は介護ではなく、サービス業だったんだなぁと振り返ります。



結局、身寄り縁者もいない、契約を切ったところで大して信頼に影響しないだろう、という結論です。こういうKさんに張られるレッテルは・・・・




『回収不能』



です。




現場のスタッフたちもKさんの訪問がなくなることに安堵の表情でした。とにかく、労いと励ましの言葉で頼み込んでスタッフを現場に送り出していたので、私としても悩みの種が一つ消えて嬉しかったくらいです。




しかし、Kさんが本当は何を求めていたのか?どうしてあそこまで人間不信だったのか?彼女の歩んできた人生に何があり、何が今のKさんを生んだのか?

そんなことを考える由もありませんでした。


スタッフから「どうしてKさんは介護拒否があそこまですごいんですかね?」の言葉に

私「精神病だからじゃないですかねぇ?」と言ってたことを思い出しました。





Kさんは困難と呼ばれるケースで、私が介護職として見捨てた人の一人です・・・





今の職場では、その人の言動や状態、様子がなぜ起きているのかをしっかり見定めようとするところです。

その人の生活歴、人間関係性、経済面、健康面などあらゆる方向から可能な限り見極めます。そして、それらから現在のその人を構築していることを知った上でそのこと全てを受け入れるのです。


介護拒否がある、口が悪い、人を信用しない、暴力がある、家がゴミ屋敷・・・


これらの言葉はそれだけを見ると、言葉以上にその人のレッテルになってしまいます。しかし、そのレッテルには必ず訳があるのです。それをまず知ろうとして、それを受け入れ、そこからどう支援していくかを考えなくてはなりません。



介護の本質を「その人の人生を良いものだったとご本人が思えるようにする支援」だとすると、それができるのはかけがえのない誰かと出会えているかです。人が生きる意味は他者との関係性の中に見出すことができるのです。

私たち介護職にとって上記のような人たちは一番の腕の見せ所、介護職として成長させてくださる人たちなのです。


人間不信に陥り、誰も支援してくれる人がいない、つまり『人との関係性が無い』『人との関係性を拒否している』人たちを『誰かを信用する』ようにするには相当の専門性と人間性が必要になります。

しかし、その人が人生の終わりに出会う私たち介護職がそのような人にならない限り、その人の人生は不信と欺瞞と絶望で終わることでしょう。

もちろん、介護職本人がならずとも、その信用する誰かと“つなぐ”ことでもよいのです。




困難ケースというのは単に重度介護度とか、重度認知症というものではありません。

困難ケースと人々が言ってしまうのは、こちらから関係性が作りづらい人です。だって向こうが拒否してるんですから。やりにくいですし、扱いづらいです。


でも、こういう人たちにこそ、人との関係性を持っていただいて、人生を良かったと終えてほしいのです。


そして、そういう人との出会い、経験こそ、私たち介護職が介護の本質を身につけるための最高の宝になるのです。

こういうケースを乗り越えた先こそ、後々の語り草、事例として話せる人になるのです。


私にとってKさんは介護職としては大変大きな失敗談です。何もせずに、せっかく出会えたチャンスをこちらから拒否したようなものです。。。。


ということで、今現在自分の職場にいる困難ケースと呼べる人にもう一度向き合ってみませんか?
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Category 失敗談

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はじめまして。

mizunoと申します。

ご立派だと思います。

そこまでお考えになって、お一人ひとりに対応される姿勢に感動です。

そこまでの姿勢を貫かれるには、相当なご苦労があると思いますが、これからも、ぜひがんばっていただきたいと思います。
Posted by mizuno at 2009年10月20日 23:17
先ほどコメントをお送りしたmizunoです。

私の関連記事をトラックバックさせていただきました。

よろしくお願いします。
Posted by mizuno at 2009年10月20日 23:25
mizunoさんコメントありがとうございます。

偉そうなことを書いておりますが、自分ができているかといえばそうではありません。

しかし、このような介護職であろうと努力し続けることが専門職として必要なのだと思います。

完璧な人間はいません。しかし、完璧を目指そうとしなければ楽な方向に流れてしまいます。

せっかく人に携わる、人の役に立つ仕事を選んだのですから、その性分を全うできるようにしたいと思います。

トラックバックありがとうございました。
Posted by kinsan at 2009年10月21日 05:02
自分が以前の職場で尊敬していた方に言われた言葉で、「まず、相手を好きになりなさい」という言葉があります。これはこの仕事をしていくうえで、自分の土台となっている言葉です。とは言っても、まだまだ人間としての器が足りず・・・。
>人間不信に陥り、誰も支援してくれる人がいない、つまり『人との関係性が無い』『人との関係性を拒否している』人たちを『誰かを信用する』ようにするには相当の専門性と人間性が必要になります。
専門性はともかく、人間性は試されるでしょうね。
>そして、そういう人との出会い、経験こそ、私たち介護職が介護の本質を身につけるための最高の宝になるのです。
そういう人、に限らず、全ての利用者さんは自分にとって、最高の先生なのだと思っています。
この方も、こうしてKinsanに大きな宿題をくれたわけですよね。自分は「宿題」を溜め込んでばかりのでき損ないです・・。
Posted by gitanist at 2009年10月21日 21:52
私はこの事例が失敗例だとは思えません。自分がKさんの所に派遣されたら、ストレスで交代願いをだすでしょう。訪問介護事業所としての限界にkinsanは心を痛めたのでしょう。「精神病だから」介護困難というのは、まさにその通りなので、私たちのほとんどは精神病の知識も少なく、関わり方のノウハウを勉強していないのです。統合失調症やシビアな躁鬱病の方のところに単身で訪問介護に行くには、熱意や忍耐力がいくらあっても、ホームヘルパーや介護福祉士の知識と技量だけで寄り添い続けられる人はいないでしょう。臨床心理などの勉強をして幾つか事例を経験した人でないと無理だと思います。今後のためにも臨床心理の勉強会を開き、事例と経験をつみかさねていく必要があります。
私の事業所でも精神病の介護困難な依頼者のところへいろいろなヘルパーを送り出し、交代に交代をかさね、もう、派遣できる手持ちヘルパーがいなくなるまでの御縁です。それが精一杯の誠意です。利用者さんのほとんどは「自分のことを誰も理解してくれない!」といわれますが、こうやって交代だらけヘルパーでも自宅にきてくれたら、それなりに助かっているようなので。

デイサービスには集団・チームでの自然な人との出会いや寄り添いがありますね。人とかかわる
のが苦手な人でも、この場に来れば、ほっとできて、人とのかかわりの一歩をふみだすチャンスをつかむことができるかもしれません。
ここでも心理学のノウハウがのやくだちそうです。
kinsanの云わんとされる思いは大変よくわかります。その思いから少しずれてしまった、コメントになってしまいごめんなさい。
kinsan
Posted by ぐう at 2009年10月21日 23:36
お世話になっております。

うちも今、ナースコールが一日何十回と鳴らす方の対応に苦戦してます。
認知症はなく、ニーズは『寂しい』と誰もが認識しています。
業務に追われる介護の負担を軽減する為にも介入して私や一部のスタッフは良好な関係は出来ています。
しかし退室後5分もたずコールがなります。
居室から出るのは好まず、ずっと居室にいてほしいと叶わないと大声や掴みかかることがあり、周りの入居者が居室で怯えてることも…。でも、私には『早く帰りな、ずっといたら怒られちゃうよ』って気遣うことが多くみられます。
ご家族は兄弟のみで、キーパーソンはお姉様。しかし90歳で特養入所中でなかなか面会出来ず、一日一度電話はOK。

スタッフも一生懸命対応してますが、夜間はなかなか難しい状況で限界をみんな感じてます。

昨日ケア会議で『スタッフがやることと時間を決めて、それ以外はトイレ介助のみコール対応する』と決まりました。私はスタッフは救えても本人が救えず、ストレスになると訴えましたが、もう一人のケアマネに『どんなにやっても救えないよ』って言われました。
もちろん私と同じ気持ちの人もいます。賛成のスタッフも苦渋の決断です。みんな行き場のない思いを抱えてます。

施設の限界やミスマッチ…それで割り切れないです…。
人員配置についても検討してますが、時間がかかるので、すぐに対応出来ず悶々とした気持ちでいっぱいです。

長文ですみません。
なかなか上手くいかないですねH
Posted by ひろ at 2009年10月22日 09:10
gitanistさんコメントありがとうございます。

私は「まず相手を好きになりなさい。関心を持ちなさい。でも、もしあなたがそれをできなくても、できない相手でも良い。そんな受け入れられないという自分をまず受け入れなさい」

というように人に伝えています。

受け入れる努力や基本は大事なんですが、人間ですから絶対に相性が合わない人、価値観の違いが大きすぎる人もいます。

そんなことで相手を受け入れられない自分はこの職に向いていない。。。等と思ってしまうようでは単なるプレッシャーになってくるんだと思います。

受け入れられない自分。まずはそれを肯定し、何故自分が受け入れられないのか、相手の何が自分は受け入れられないのか?そして相手はどうしてそういう要素を持っているのか?・・・

こんな風に考えていくことで相手を理解しようとし続ける援助職になれると考えています。

私も絶対に無理な相手がいますし・・・

>そういう人、に限らず、全ての利用者さんは自分にとって、最高の先生なのだと思っています

そうですね。自分が出会う全ての方が私たちを成長させてくださる相手ですね。

そうした人々によって私たちの専門性と人間性が磨かれるのだと思います。

Posted by kinsan at 2009年10月22日 10:40
ぐうさん現役訪問介護士としてのコメントありがとうございます。

介護職、しかも(不適切な言い方ですが)2級しかもたないパートヘルパーがどんな熱意や忍耐力をもってしても無理な現場は存在します。

そんな方でも在宅や地域で生活し、そのためにヘルパーが必要だということが一般的に理解されていませんね。

介護は誰でもできるわけではありません。

しかし、プロとしてお給料を頂いている身であればできる努力も必要だったのだと思います。

現在私の職場ではうつ病や統合失調症の方々が穏やかに過ごされています。

専門的知識、技術、スーパービジョン等があればケアできるのです。もちろん医療との連携も不可欠です。

そのような学びや努力を一切せずに、Kさんというその人そのものに“困難”の原因を押し付けて逃げたことが私にとっては失敗だと思うのです。プロ失格です。

ですから、困難なケースは確かに存在します。しかしだからこそ私たちがいると思い、必要な学びや経験を身につけていかなければならないのだと思います。

しかし、それを全ヘルパーに求めることもまた厳しいと思いますが・・・努力を最初からあきらめることだけはしたくないと思います。
Posted by kinsan at 2009年10月22日 10:47
ひろさんコメントありがとうございます。

このケース、どうすれば“解決”と思われるのでしょうか?

おそらく「ナースコールを鳴らさなくなること」ですね。

ではどうすれば良いか?

ずっとそばにいれば安心する?


介護業界における悩みのほとんどが『人手不足』にあると思います。

人がいないからできない・・・


さて、もし仮にひろさんの施設に人手が十二分にあればこの方はナースコールを鳴らさなくなるでしょうか?

私はなくならないと思います。

その理由は施設の中で寂しいと感じているこの方の味方と敵(この方を問題者扱いしているスタッフ)が両方いらっしゃるからではないかと思います。

この方の寂しいという想い、施設で最期を迎えるかもしれないという想いを誰もが受け入れて、寄り添っていればもう少し変わるのではないでしょうか?

つまり、原因はやはり私たち介護職の側にあるような気がしてなりません。
利用者さんに問題の原因を見出すことは至極簡単です。しかし、それでは結局何も進まず、私たちの仕事も存在の意味もなくなるのではないかと思います。

難しい現場状況とは思います。現状を知らない人間が自分勝手な発言だと承知していますが、ひろさんは大丈夫だと思いますが、私たち介護職が利用者さんに原因を探さないでほしいと願っています。
Posted by kinsan at 2009年10月22日 10:59
コメントさせていただきますねー。

非常に共感できる記事内容でした。対人援助者として、「積極的姿勢」を持つことは必要だと思います!

私が勤務する施設では、十数年もの時間をかけて行動変容できた方もいらっしゃいます。当然、その間というのはご本人も職員も大変な思いをします。しかし、私たち援助者が「積極的姿勢」を放棄してしまえば、彼らの生活は何一つ変わりません。

もちろん、失敗や反省もあります。それでも、重心介護(看護)というものは、その失敗や反省を含む利用者さんと私たちとの応答的関係の上にしか成立しないものだと考えています。

そのような実践に対し、医師から「自己満足では?」と言われたこともありました。私にしてみれば、「あ〜医者らしいコメントだな・・・」という残念な感想を持つ反面、ある意味では納得せざるを得ないような"実践の振り返り"にもなったコメントでした。

そのコメントを切欠に学んだことは、「判断」の難しさです。利用者個人の到達点を判断することが如何に困難かということです。それを見誤ってしまえば、いくら積極的姿勢をもってしても私たちの実践は押し付けにしかなりません。このことは恐らく、kinsanが「対人援助者としての〜」の記事で示された"真のニーズを見極める"ということと同質のものだと解釈してます。

うわー・・・。やっぱりkinsanの記事にコメントするとなると、どうしても長文になっちゃう(苦笑)要は、この「積極的姿勢」と「真のニーズの見極め」のそれぞれを知り、両者の関係を理解することが重要ですよね?ってことと、その関係の状態を見極めることも重要ですよね?ってことと、そうなると、後は・・・・・もうキーワードで!

「共感」とか「主観と客観のバイアス」とか「主観の証明」とか、そんな感じ!そんなことを思いましたよ(笑)私にとっては難しい課題ばかりですが・・・(汗)

とにかく、今回も共感できたうえに勉強までさせていただきました!あ、それと。。。kinsanの取り組みですが、個人的にとてもワクワクしてます。いつか是非聞かせてくださいね♪

これからは、もう少し日本語を勉強してからコメントすることにします。ホント長文ごめんなさーい!

Posted by ケアマン at 2009年10月23日 02:20
ケアマンさんコメントありがとうございます。

積極的姿勢と真のニーズの見極め・・・本当にこの兼ね合いを図っていくことが専門職として求められることですね。これらをどのように体系化していくか・・・非常に困難だとは思いますが頑張って取り組みたいと思います。

今私の中でホットなのは『主観の証明』ですね。これは確実に不可能です。ただ、限りなく主観に近付くことは可能なのではないかと思い、その方法を探っているところです。まぁ、やはり客観的に証明できることはできないので、説得力に欠けるものしかできないと思いますが。

いつもありがとうございます。

私も日本語はへたで、特にこのブログ記事も長文になってしまうことでよくご指摘を頂戴します。
もう少し簡潔にそれでいてインパクトのある記事を書いて伝えていかなければ、読者の方も飽きてしまうかと思います。
頑張りますので、今後ともよろしくお願いいたします。
Posted by kinsan at 2009年10月23日 21:11
久しぶりに読ませていただきました。

この4年間実習で利用者に怒鳴られる、叩かれるといった経験も決してないとはいえませんでした。
介護って本当に精神的に疲れるのかぁとか思いました。
けどホッとスペースで実習ができ、忘れてはならない尊厳の尊重という意味をつかめた気がします。

深く考えていくことはとてもエネルギーのかかりますが、それでも何かをわかろうとする姿勢は一人の人間として、大変すばらしいことだと思います。

どうか頑張ってください!!
Posted by 実習生T・H at 2009年10月24日 22:55
実習生T・Hさん本当に嬉しいコメントありがとうございます。

T・Hさんは実習が始まる前と後では別人のようだったとスタッフ一同申しております。

そのきっかけ、T・Hさんを変えたのはたった一人の利用者さんだったと思います。その方の生き方、想い、そして痛み。それらに触れた時、ただあなたはその方の隣にいる純粋なるただの一人の人であったと思います。

人が純粋に相手を想い、寄り添っていく時、そこで本当に“人との出会い”があり、人を変えるんですね。

私も実はこの“人”に出会うまでに今の職場で1年半かかりました。それまでの私は単に人を支援する専門性を小難しく考える理屈屋であったと思います。

しかし“人”に出会った時から、私の介護観、人を支援すること、尊厳、対人援助、それらの本質を感じ、私自身が変わった思います。

今はそのことを言葉にすることに苦心していますが、あなたが感じてくださったこと、人としての本質こそ、介護の基本だと考えています。

T・Hさんも頑張ってください!!ありがとうございました!
Posted by kinsan at 2009年10月25日 07:32
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Tracked: 2009-10-20 23:21