介護の専門性新提案の見守りとは何だろうかのリンクについて
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見守りとは何だろうか
2009年10月24日先日新規の利用者さんがいらっしゃいました。他のデイサービスに長い間通い、週一回うちのデイを新たに増やしたSさんです。
Sさんがお昼過ぎにポツリとおっしゃいました。
「ここは年寄りを一人で歩かせるんだなぁ。危なっかしぃ」
うちのデイでは基本的に歩ける方には歩いていただきますし、見守りで大丈夫な方は見守りで歩いてます。もちろん介助が必要な方は介助します。
介助が必要な方以外に歩いていただくこと、言い換えるとスタッフがピッタリと付かないことは、利用者さん一人ひとりの状態を把握しており、その人のできる能力をこちらで抑制せずに、最大限発揮していただこうという意図的なアプローチであり、決して放置ではありません。
Sさんは年寄りにはみんな介助が付くのが当たり前で、ここの職員は冷たいと思われたようです。本人の中の常識なのか、他のデイでの常識なのか…
それだけなら良いのですが、Sさんと同時期に他事業所からいらした研修生の方も同じことをおっしゃいました。
「こちらでは利用者さんを一人で歩かせても大丈夫なんですね?みなさんお元気みたいですもんね」
「チガう!」とツッコミを入れたくなります。
私たちのデイではその人の残存機能を発揮する生活の中のリハビリを大切にしてます。自分たちのやり方に自信があります。
しかし、ふと両者のご意見を正面から受け止めてみると「確かに危ないかもしれない」と思いました。
どんな健康な人でも転ばないことはありません。私もよくつまづきます…
ですから、利用者さんの能力を把握しているといってもそれは主観的なもので確実な保証はありません。
『もしかしたら自分たちは怠慢で、相手のことを過信し過ぎているかもしれない。リスクを考えなさすぎてるかもしれない』
と感じました。
しかし、利用者さんに対して
「事故が起きたら困るから」
「転倒したら大変だから」
という理由で
「座っててください」
「ちょっと待っててください」
「動かないでください」
「後でやりますね」
「一人でやらないでください」
という介護職都合による言葉の抑制、それによる心の抑制はしたくありません。そしてその人が持ってる力を発揮する機会を奪いたくありません。
これまでの介護はこれらのリスクを抑えるために要介護者の主体性と自立(律)性を抑えるリスクを取ってきたのです。
しかしこれからの介護はそうではないはずです。
起こり得るリスクは最小限に抑え、要介護者の生きる内在的力を発揮させる最大限のリターンを得られる可能性を探していくこと、そういう高度なスキルとしての
『見守り』
ができることが必要です。
見守りは単に“いつでも手を貸せる”という介護職の状態や行為ではありません。
見守りをするには、何故見守るのか、見守りによって何を目指すのか、見守れる相手の力の範囲、手を貸すタイミングや必要性を知り、チームで共有し、そして必要な時に実行できるまでが『見守り』です。
また、見守りは日本人が最も苦手とするスキルです。
思いやり、察し、気遣い、人助けを美徳とする日本人の国民性はジッと見守ることができず、つい手を貸したくなるのです。私もそうです。
日本人の国民性を克服して介護のプロとしての見守りスキルを身につけたいものです。
さて、ふと思いましたが、『見守り』は別の漢字で書くと
『看る(見)護る(守り)』
つまり『看護』になることに気付きます。
この看護は現代的な看護の意味ではなく、ナイチンゲールが示した
『その人の内在する自然治癒力が最大限に発揮される環境を整えること』
という意味だと捉えます。
実はこの環境に私たち介護職も含まれているのです。ICFでも言われてますね。環境因子です。
リスクばかりを気にして相手の力を抑制するならば、私たちは単なる阻害因子と化します。また、相手の内在する力を信じられず、安易な手助けをしてしまう優しさも、やはり時に阻害因子となります。
逆に優れた見守りによって相手の力を発揮させられるならば、私たちはその人の促進因子になることができます。
あなたは目の前の人の阻害因子になりますか?それとも促進因子になりたいですか?
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Category 介護の専門性とケア論
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今回の提案ですが、まったくもって同意見です!!
しかしながらkinsan・・・。リスクマネジメントも行き着く先はヒューマンエラーですよね?「人」ですよね?エラーといっては失礼にあたりますが、援助者の「人となり」という壁にぶつかってしまいます。
私の勤務先では、「職員にとっての安心感」というものが実践の基盤のどこかしらに存在しています。そのことがケアの質向上の妨げになっていることも事実です。
以前、インシデントレポートをもとにリスク分析を行って、そこの部分(人となり)に突っ込もうと取り組んだことがあります。しかしながら「職員の人権?」みたいなものを前にして諦めてしまいました。
「あなたの人となりがリスクに繋がっている」という、ある意味その人を否定してしまうことに躊躇せざるを得なかったんです。
ICFの理念・・・心からすばらしいと思います。リスクマネジメントに関する著書も納得のいく内容ばかりです。時間を使ってしっかりと話をすれば、説明すれば、みんな「なるほどね〜」「そうだよね〜」と、言葉の理解はしてくれます。関心をもって聞いてももらえます。しかし、残念なことに「人」を変えるだけの理念や言葉や方法を未だに見出せません。出会えていません。
前向きなリスクマネジメントの実現・・・私にとって、難しく大きな課題ですよ(トホホ
とは言いつつ、「とりあえず細かいことは気にせずに訴え続けることかな!?」とか思って頑張ってますけどね☆
確かに、単にリスクマネジメントをしていくと、この業界におけるリスクのほとんどがヒューマエラーといってもよいでしょう。ですから職員側の人権意識が障壁となることも理解できます。
上手く伝われば良いのですが書いてみますね。
私たちの職場では、利用者さんに限らず、職員一人ひとりの不完全さ、弱さを認めています。この人はどこが抜けている、足りない等。もちろん私自身も弱さや不完全さを持っています。そのことを互いに認め合い、そして足りないことを補い合い、その人しかもっていない強みを最大限に生かすことで仕事をしています。『人は完全ではなく、人によって支え合っている』この理念が浸透しているように思います。
従いまして、利用者さんの不完全さもしっかりと受け止めるようにしています。ですから、それを矯正しようとすることも少ないです。
一言で言ってしまうと人のあるがままをまず受け入れる『受容』がかなり高いレベルでできているんですね。なので、リスクマネジメントに関する話を小難しくしなくても、利用者さんのために!という表現で十分伝わり、そのための方法論や自分たちの支援方法まで考え、共有することができていますね。
>「人」を変えるだけの理念や言葉や方法
ひとつ前の記事にコメントくださった実習生の方がとても良いヒントを書いてくださっています。
「人」は理屈ではなかなか変わりません。人が変われるのは『人に向き合えた時』です。そういうきっかけを得た時にしっかりとスーパービジョンすることができる職場であることが必要です。
今の現場は利用者さんと向き合い、人を支援すること、尊厳を守ること等を生で体験させてくれることが少ない。体験しているのに、その大切さを教えてくれる指導者や先輩がいない。その事が介護業界の不幸ですね。
人は理屈ではなく、体験で変われる。変わったことから本当に大事な介護に向かえる。ということです。
ん〜〜、ですからやはりケアマンさんにも職員さんにも体験していただくのが一番なんですがね・・・説明不足でごめんなさい。
全くその通りだと思いながら読ませていただきました!
「ごめんなさい」だなんて、とんでもない!
丁寧にお返事くださって感謝します♪
「業界の不幸」ホントそうですよね〜。
私の勤務先は、年数的にかなりの歴史をもつ施設です。
ですから、何十年も働いている職員がウジャウジャいるんですね。
もっというと、大切なことに気づくことなく、ただ年数を重ねただけの職員がたくさんいます。
私も、大切なことっていうのは、文章や言葉だけでなく
それらを実感できる体験を通して身につくものだと考えています。
先に説明した「ウジャウジャ」の職員も、少なからず体験し変わってくれたとも
思っています。
変わってくれたからこそ、今があるとも思っています。
その方達から学ぶべきこともあります。
う〜ん、いつもながら上手く説明できなくて申し訳ないんですけど・・・
体験するには、それなりの努力と時間を段階的に積み重ねていくことが必要ですよね(?)
しかし、残念なことにその事が一番のネックになってしまうんです。
あ〜、やっぱり上手く説明できないや・・・
私の勤務先は、20代と50代が同じくらいの比率で現場職員の多くを占めています。
20代+30代<<<<40代+50代って感じです(汗)
おもいっきり「業界の不幸」の結果ってやつですかね・・・
組織自体が大きすぎるというのも難しさの一つです。
kinsanの仰ることは十分に理解できます。私も「そうあるべき」と、出来る範囲で
取り組んではいます。が、・・・・・
専門職とはいえ、人が長年積み重ねた時間ってのは一筋縄ではいかんもんです・・・
あぁ、愚痴っぽいこと言ってますね・・・私。(申し訳ない)
もどかしさや悔しさを持ちながらの日々ですが、先ずはこの「不幸」を招く流れ
を断ち切らなければならないと考えています。
その為にも、私たち介護職はkinsanが提案されるような「介護にとって大切な何か」
を学ぶ必要があると思っています。
私も私なりに頑張っていきますよ♪
この業界に長年いらっしゃる諸先輩方の一部が介護の本質に目覚められず、ただ年数を重ねていらっしゃるのはある意味仕方がないことだとも思います。
介護とは三大介護を提供して、日常生活の世話や便宜を図る仕事であると言われて、介護が注目される以前から一生懸命携わってきた方々がたくさんいるわけですね。その方たちに昨今の綺麗な理念を伝えようとしても、そもそも私たちが押し付けているだけかもしれません。
理念の名の下に私たちが仲間を変えようとしているんですね。
そうではなく、やはり人との出会いを通じてその本質的理念に触れることができることが一番です。
先ほど帰りが偶然一緒になった登録ヘルパーさんがおっしゃっていました。
「ここの職場は本当に職員一人ひとりを大事にしてくれる。私は介護の仕事を始めて割と長い方だけれども、ホッとスペースに勤めてからが私の本当の介護職としてのスタートなんです。」
このように登録ヘルパーさんがおっしゃってくださるような職場作り。専門性の構築と同時に“現場作り”にも取り組みたいと思います。