役割を担ってもらうことの意味

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役割を担ってもらうことの意味

2010年11月22日



『役割』を持って頂くことが利用者にとって大切なアプローチの一つであることは何度も書いてきた。しかし、役割をやらせっ放しになっていないだろうか。また今まで担っていた役割ができなくなっていく人に対してどのようにアプローチすれば良いだろうか。

今日は何度も書いてきたことだが、改めて整理してみたい。



今、女性、要介護5で末期癌のMさんが私の事業所を利用している。
デイに通い始めて3年弱。私が契約に伺い、今日までこられた方だ。

Mさんは九州の生まれ。20代で品川に働きに出てきた。その時出会ったご主人との間にご長男を授かった。
しかし、その後戦災に巻き込まれ、川崎に逃げてきたものの、不衛生な環境、足りない食糧事情の中、最愛の息子さんを失ってしまった。

それからMさんは戦後復興を生き延び、2子を授かりながら今日に至る。現在は娘さん家族と住んでいる。

Mさんは結婚してから全く働いたことが無い、この道70年のベテラン専業主婦だ。家事や料理が大好きで、デイに通われ始めた頃はよく調理活動やおやつ作り、お裁縫に取り組んでいた。



Mさんがデイに通われてから一番輝く活動がある。
それは『おはぎ作り』である。

毎年のお彼岸にはMさん主導で60〜70個のおはぎを作ってくれる。Mさんのおはぎはとても美味しいと評判で、法人内の他部門のスタッフも食べにくる。
Mさんはこの時期が来るごとに、イキイキとおはぎを作り、若い女性スタッフに作り方を指導し、お仲間をうまくサポートしながら大役を務めて下さっていた。


そんなMさんの癌は昨年くらいから徐々に進行しだしたのだ。
入退院を繰り返し、その度に切除を行い、それでもデイサービスに戻りたい!皆さんに会いたい!という想いを糧にMさんは復帰して下さっている。

しかし、Mさんの衰え方はこの3カ月でかなりひどいものになった。

要介護度は1から3、5とだんだん重くなり、歩行もできず車いすになり、現在では視力もかなり落ちて、私のことも近くでなければ判別できない。食欲も激減し、やせ細り、そして最近は声まで出なくなってきた。
本人、主治医、家族、ケアマネ、その他でターミナル期を在宅で過ごすという決断に至ったのである。


そして、またお彼岸の季節がやってきた。


私たちはMさんにおはぎ作りをまた提案してみるかどうかの段階から話し合った。今の現状で提案することはMさんの自律性や自尊心を低下させてしまわないか?などである。
それでも検討を重ねてMさんへの提案をすることに決まった。


Mさんは案の定『もう自分にはできない、皆さんのお役に立つことは出来ない。手が利かない。味もわからなくなってきて、味見もできない』とおっしゃった。
しかし、私たちは提案をしてMさんはおはぎ作りに参加して下さった。

当日、それでもMさんはイキイキとまるでこの日に合わせたかのように体調が安定していた。そして、スタッフや他の利用者さんはMさんの指示を受けながらおはぎを作っていったのである。



このおはぎ作りを終えた後に、新人の職員からこのような質問をもらった。

「Mさんは以前のようにおはぎ作りに参加することは出来なかった。本人も何もできなかったと仰っていた。できないことをこちらから設定して提案することが本当にMさんにとって良いことだったのでしょうか?役割が大切なのはわかりますが、できない人にやらせようとすることは強要になったり、無理強いになってしまう気がしたのですが・・・」

ということである。

私は新人職員に伝えた。

『確かに、あなたが言うようにMさんが役割として担えたことは今までに比べたらほとんど無いかもしれません。それによってMさんは『できなくなってしまった、こんな体になって』という痛みを覚えるでしょう。それは事実です。しかし、それを恐れてMさんから大切な役割を奪ってしまうことは介護職としていけないと僕は思います。』
『あなたは、Mさんが何故おはぎ作りをされるか知っていますか?』

「え!?Mさんが得意で昔からされていたからではないですか?」

『なぜMさんがおはぎ作りを始めたか知ってますか?』

「・・・・・」

『Mさんは、最愛の息子さんを戦災で亡くしてから、毎年その息子さんのためにおはぎを作りだしたんだそうですよ。そして、ご近所や親せきにおすそ分けするうちに評判になって習慣化していったそうです』

『役割というのは確かに担うこと自体に意味があります。達成感や充足感、やりがいや自己肯定観を持つことが出来るでしょう。でも、役割の本当に大事なことは、それを通じて誰かに“承認”されることによって初めて意味を成すと僕は思うのです。それを担うことによってその人がどんな承認を求めているか?それを考えて提案をした時、その役割はその人にとって本当の支援になると思います』

『僕は、何もできなくなったMさんに「息子さんのために続けませんか?そのために僕たちにお手伝いさせてください。Mさんがおはぎを作り始めた原点ですもんね」と提案したんです。そしたらMさんはやる気になったんです。Mさんという人が人生の中で何を大切にしているかというアセスメントをしていなければいけませんが。新人のあなたと僕たちのMさんとの接する時間の差ですから、これは共有しておかなかった僕たちの責任です。ごめんなさい。』



NLPというコミュニケーション、カウンセリングのような分野がある。その中でロバート・ディルツ博士という人が『ニューロロジカルレベル』というものを示している。

これは他者がその人に与える承認の影響度合いを表したもので、下位の承認よりも、上位の承認をした方が、よりその人の存在意義や自己肯定観に与える影響が高いというものである。

1.スピリチュアル=あなたの存在が周りに与える影響は素晴らしい
2.自己認識=あなたの存在は素晴らしい
3.信念・価値観=あなたが信じるものや価値を置くものは素晴らしい
4.能力=あなたの能力・知識は素晴らしい
5.行動=あなたの行動は素晴らしい
6.あなたがいる環境は素晴らしい


である。

例えば、ブランド物のバッグを持っている人に「あなたのバッグは素敵ね(環境)」と承認するよりも「あなたのセンスは素敵ね(価値観)」と承認する方が、よりその人の自己肯定観に高い影響を与えるというものである。


介護現場における役割とは概して4の『能力』を承認することに終始してはいないだろうか。だからこの『能力』が失われた時に、どう承認して良いかわからないし、時に役割を担うことを提案しなくなってしまう。

役割とはできるDo役割だけではなくBe役割があることを忘れてはならず、その人がその役割を通じて何を大切にしているのか?どんな承認を投げかけることがよりその役割の意味を高めることができるのか?そこまで考えなければならないのではないだろうか。


Mさんの場合、1.2.3の承認を私たちは投げている。

「できなくなっちゃったけど○○さん(若い女性スタッフ)がおはぎ作りを覚えてくれたから安心だわ」
「息子に喜んでもらえるわね。よかった」
「ここでみなさんと一緒にいられて良かった」
「みなさん本当に優しい方でよかった」⇒「Mさんの存在が皆さんにとってかけがえのないものだからですよ」


そして、この承認を投げかけたり、どんな役割をどれだけになって頂けるかを見極めるには、個々のスタッフのアセスメントと情報共有が必須であることは言うまでもない。


利用者に役割を担って頂くこと、そして承認を投げかけること、そのレベル。もう一度振り返ってみたいことではないだろうか。私も含めて。


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ご自分の情報共有の足りなさを棚にあげて何を新人の職員に言っているのかと思う。
Posted by N.T at 2010年11月26日 00:02
N.Tさんコメントありがとうございます。

その点はご指摘いただいた通りだと痛感しております。各職員が得る利用者個々の情報をいかにスタッフ全員で共有していくかは大きな課題ですね。
仮に情報を得たとしても、それぞれのスタッフでその情報が意味することや重要度やケアへの反映方法は少なからず異なってきます。

知っていて当たり前。え!?知らなかったの?あ、言ってなかったっけ?

こんなやりとりが現場では往々にして見られますね。これらのミスを是正していく方法やシステムを現場ごとに作らなければいけませんね。

N.Tさんがもし現場の方でしたら、どのように情報共有の漏れを防止する対策が取られていますか?
Posted by kinsan at 2010年11月26日 05:11
ごめんなさい。
私は現場の職員です。
最近、似たような事例が職場でもあって感情的なコメントになってしまいました。

新人スタッフが介護主任に情報共有の不足を指摘され執拗に問いただされていました。
主任が新人のスタッフに厳しく指導するのは良いと思うのですが、その切り口が陰湿さを感じてしまいます。

情報共有の徹底は職場でも問題になっています。
チェックシートなど様々に設けていますが、全く完全ではありません。

今回の感情的なコメント、申し訳ありませんでした。

いつも更新楽しみにしてますし、まだ私は修業中で、書いてある内容が難しくかったり、勉強になる事が沢山あります。

こんなコメントに、返信ありがとうございます。
Posted by N.T at 2010年11月26日 11:44
N.Tさんコメントありがとうございます。

どうか謝らないでください。頂いた意見はごもっともなものですし、私の表現が至らなかったこともあると思います。
一つ補足をさせていただきますと、記事中のような言葉を淡々と冷静に新人に伝えたりはしておりません。記事としてはこのように書きましたが、実際は新人さんと笑い話も交え、NLPのうんちくをゆっくりと伝えました。

私の職場は「完ぺきは無い」「人はみな弱く不完全」「だから皆が助け合い支え合う」という風土があるので、主任さんのようなことは見られません。

N.Tさんが感情的になってしまわれるのも、それだけ主任の方の伝え方が良くないように感じたことがあったのですね。

どうかお気になさらず、お気兼ねなく、今後もコメント頂けたら嬉しいです。

私こそまだまだ修行中の若手です。これからも一緒に色々と考えていけたら幸いです。ありがとうございました!

Posted by kinsan at 2010年11月27日 00:11
コメントありがとうございます!
補足の点、と職場の風土がとてもうらやましく感じました! 僕もそのような施設で働けたら良いと思いした。
というか、そんな職場にすれば良いんですけど、それはとても時間がかかるかもです。
お互い頑張りましょう!
ちなみに僕は介護の仕事を始めて2年の28才です。
介護福祉士はもっていません下向きカーブ矢印
最近の悩みは、未熟な僕が介護をしていても良いのかです。 だから仕事中は神経を集中させ、イロイロな人の意見を聞きながら仕事をしています。
キンサンの事を知っていて自分がなのらないのは失礼かと思いまして…。
ありがとうございます!
Posted by N.T at 2010年11月27日 00:39
N.Tさんコメントありがとうございます。

同年代の方だったんですね!嬉しいです。

私の職場は確かに恵まれていると感じます。正直な話、私はそこに就職できたから色々なことを考えたりする機会を頂けたと思っています。立場が変わればN.Tさんのように、ジレンマを感じながら介護の仕事をしていたかもしれません。

ですから、自分の与えられた環境で、何をして、何を還元できるか、日々考えております。kinsanの職場は特別だからできるんでしょ?と言われないように頑張りたいです。

そして、特別だと思われているうちの職場がどうやってそれを作ってきたかを考えていけたらと思っています。

これからもどうぞご意見をよろしくお願いいたします。
Posted by kinsan at 2010年11月28日 12:02
新参者です。

すばらしい職場、組織に入った方はそれはすばらいいことなのです。だからこそそのうえの目指していくという自モチが動きだしますよね。ほんとうに素晴らしいことなのです。だからその上を。
でも僕もそうでなかったようにそうでない仕組み、経営、スキル、メンバー、すべてが課題があった中でいた、あるいは今現在いるスタッフ。その困難な状況から「当たり前」に向かっていくという中で「得るもの」は、その後、取り組みにおいて、その方法は勿論、へこたれない「強さ」がかならず備わるのではないかと思います。もっと素晴らしいのはこの両者が手をとる時です。その先は、もう見えています。と思うのです。どうやってあたり前にしていくのか、そのきっかけは金山さんとこにいっぱりつまっていますし、日々奮闘しているところにも実はつまっているのだろうと。そんなことを思いました。
Posted by 又佐 at 2010年11月29日 20:11
又佐さんコメントありがとうございます。

どんな環境も、その中にあって何を学ぶかというその人自身の心持ということで理解してよろしいでしょうか。

おっしゃる通り、すべてに学びがあり、どれもかけがえのない大切な事例であり、学びであり、糧であると思います。それらを共有して、同じものを築いていけたらよいのかと思いますね。
本当に手を取り合いながら介護を作っていきたいですね。
Posted by kinsan at 2010年11月30日 06:25
kinsan 大丈夫ですか?
私久々の登場ですが、その間kinsanのお疲れはたまっているようで、燃え尽きちゃいましたか?

 おばちゃんが助けになるかどうかはわかりませんが、最近の私の日々を参考にしていただければと思います。

 最近の私は自分の父親の介護をしておりました。長年この仕事をしてきてわが親が要介護状態になり、はや6年、まったく動けなくなり1年半ぐらいですか。今までの知識と技術をもって父親に向き合ってきました。でも私の利用者様と違い、わが父は自己主張が強く、良かれと思う方法もなかなか受け入れず、今は寝たきり状態です。入退院を短いスパンで繰り返し、今は入院中です。

 ただ父が要介護状態になったことで、私は大事な家族が要介護状態になった家族の気持ちを痛いほど感じることができました。そしてその経験で私の利用者様のご家族に接することができ、利用者さまやその後家族との新たなかかわり方を学ぶことができました。

 私の部下はお父様が入院し、これまた大変な日々を送っています。私の背中をみてくれていますので、葛藤の中お父様、ご家族と真剣に向き合い、困難な状況を打ち破ろうと戦っています。

 介護って誰にでもやってくる事態ですが、それにきちんと向き合うかどうかっていうことが専門職は当然ですが、人間として必要なことだと思います。ご利用者様のご家族にもさまざまな方がおられ、「介護」を逃げないこと、親や身近なおせわになった方をきちんと見送ることは人間として経験していかないといけないことだと痛感しています。
 介護の究極は「看取り」だと私は思っていて、それまでの過程のその人のよい後半の人生の過ごし方の援助ができればと思うこの頃です。私の現場が施設だからだとは思いますが・・・。

 ブログはしばらくお休みしてkinsanの身近な方と十分向き合ってみたらまた新しい「介護の新提案」が沸いてくるのではないでしょうか。何事も悩んだり、迷ったりしたら現場に戻れですよ。色々な経験がkinsanを大きくしてくれると思います。

 後ろ向きになってもしばらく立ち止まれば、また前を向きたくなります。ファイト!!
 
 何か主旨はちがったかも知れませんが、前向きに考えると「介護」の現場は楽しいです。人間に必須のことです。介護の現場に関われていることに感謝です。
Posted by yayo at 2010年12月03日 00:27
yayoさん励ましのメッセージをありがとうございます。

なんだか初心を思い出させていただいたような気がします。

これまでにも何度かブログを書く手が止まったことがありますが、そのたびに皆様に励まされます。

そして、再開するときのきっかけはいつも現場です。

現場に真摯に向き合っていると「あ、このことを皆さんにお伝えしたい」という出来事に必ず出会います。


私の目指していることはとても難しいです。

介護の専門性。。。そんなものあるのか?どうやってあらわすのか?

現場から離れた言葉になってはいけない。でも我流の想い中心の言葉では伝わらない。

いっそのことどちらかに偏れたら楽なのですが・・・

気長にお待ちください。案外すぐ書けるかもしれませんし。

本当にありがとうございました!頑張ります。
Posted by kinsan at 2010年12月03日 06:58
 ところで久々に登場して続けてますが、ケアの中で「役割を担ってもらう」ということは大切なことで、これまでの生活歴や価値観をご家族やご本人から探り出してケアに生かすということは私も実践してきました。

 このところ父の介護をしていても思うのですが(何かの本で読んだこともあるのですが・・・)「人間って何かしらの役割を担うためにこの世の中に存在している」ということです。これまで話されていることとは違った意味になるかも知れませんが、そういう役割を認識して生涯をまっとうする。このような考え方でkinsanの活動を振り返ってみると大きな軌跡は残せていると思うし、次にも活動は広げると思います。

 私の父は実家のU家に一人っ子として生まれました。父親(私の祖父)は戦死をし、父は父親の顔を見ていません。農家の長男として祖父母に育てられ、農業を営み、母と結婚し、兄と私が生まれ、何とか社会人まで育てて、やっと二人の子供が結婚し、まもなく難病となり、徐々に思うように動くことができなくなりました。身体を動かす仕事ができなくなったころから父親らしいところがなくなり、本人が一番苦しんでいたように思います。
 まったく動けなくなり要介護状態となり入退院を繰り返していますが、今は父親として「ケア」を生業としている私にさまざまな問題を与えてくれて私にいろんなことを教えてくれているように思えるようになりました。
 今要介護状態となっている父はある程度やり遂げたし、次の世代につなげることができているのです。子供のころはいやだった農作業の私たち兄弟は今休みの日だけの兼業農家ですが、細々とやっています。U家の思いは継続できています。

 竜馬伝を見ているとあの時代の方々の熱い思いはつながっているのかなと思いますが、「介護」の世界で世間の方や次の世代へつなげていく活動はできていくと思います。

 えらそうなことを言ってごめんなさい、自分でブログを立ち上げるほど元気はなく、人には突っ込んでいます。(笑)
Posted by yayo at 2010年12月05日 11:33
キンサン。キンサンは僕と同年代ですが介護ではキンサンは大先輩です。
キンサンのブロクを読んでいて毎回とても勉強になりますし、キンサンが専門性の確立を目指していて、とても大変だと思います。
僕も、キンサンとは違う理由で立ち止まる事がたくさんあります。
答えがない介護。
その中で、出会った方を幸せにしたいです。

blogの再開を待ってますね。

Posted by N.T at 2010年12月23日 19:58
yayoさん、コメントいただいていたのに、お返事が遅くなり大変申し訳ございませんでした。

しばらくブログ自体から離れておりました。
そのことは近々書きますので、今はコメントへのお返事をさせていただきます。

人が役割をになって生きているということは私も読み知るところです。

大切なのは、その人がどんな役割を担っているかを自覚、ないしは体感できているかどうかだと思うのです。寝たきりの方であっても、自分が何か役割を得ていると感じられることが大切だということです。

ある男性利用者。歩行は不可で、車いすで外出しようものならば、あたりかまわず怒鳴り、道行く人に自分の介助や手伝いを申しつけ、マナー違反者には厳しく叱責をしたそうです。
彼は単なるわがまま爺なのか?

介護職は男性に尋ねたそうです。『どうしてそのようにふるまうのですか?』

すると男性は『私は自分という人間を通じて、積極的に社会に出ることで、人々に“老い”や“死”を伝えたいのだ。それが私にできる最後の役割だ』とおっしゃったそうです。

良い悪いは別にして、ここまで強い信念を持って役割を担える方は稀です。

大切なのは、周囲の人間が、老いてもその人に役割があるということを伝えること、あなたの担う役割によって、私たちはこんなに影響を与えられている、学ばせていただいている、等ということを伝えることなのだと思います。

役割は、単に何かをするというDo役割だけではないのですね。

yayoさんのお父上もDo役割が減る中で、父親であるというBe役割は最後まで残るでしょう。それをお伝えできるのはyayoさんとお兄様だけなのだと感じました。


久しぶりのコメントの返信で、少し元気が出てきました。本当にありがとうございました!

ブログそろそろ復活したいです。感謝しております。
Posted by kinsan at 2010年12月27日 08:30
N.Tさんコメントありがとうございます。お返事が遅くなり大変申し訳ございませんでした。

約一カ月立ち止り、いろいろなことを考えました。

N.Tさんのように、支えてくださるたくさんの方に、励まされ、応援される幸せを改めて感じております。

また頑張ります。本当にありがとうございました!
Posted by kinsan at 2010年12月27日 08:32
良かったです。コメントが返ってきて・・・。コメント書いたものの、反応がないのでしばらく時間が必要かな?と思ってました。

お帰りなさい!!

Posted by yayo at 2010年12月31日 19:47
yayoさん、大変遅く利申し訳ございませんでした。

また色々とご意見いただけたら嬉しいです。よろしくお願いいたします。
Posted by kinsan at 2011年01月01日 12:53
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