介護の哲学

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介護の哲学

2011年6月27日


昨日は笑福会の研修でした。

研修と名前は付いていますが、参加者20名程による『介護について語りまくる』という“場”でした。

今日はその“場”の様子と、参加者から出た意見等をまとめてご報告したいと思います。

こちらの“場”の様子はユーストリームで生中継していましたので、こちからからアーカイブを見ることができます。
大体5時間弱、ひたすらディスカッションです。まさに介護哲学・・・

さてこの“場”には20名程の人が参加していました。年齢は20代(私)〜多世代いらっしゃいました。
介護職が半分以上、PT、元Nsケアマネ、研究者2名、生活相談員、ジャーナリスト2名、管理者などでした。


最初に話し合ったのはテーマは

『介護福祉士は介護士ではなく、なぜ介護福祉士なのか?』です。

とりあえず色々な意見が雑多に出ました。


・介護+福祉、誇り
・バックグラウンドに福祉、ソーシャルワークがある
・一人ひとりの幸せが集まったもの
・行政主導の施しである
・神様に授ける酒(福祉の語源)
・人生捨てたもんじゃない
・関係性、環境の中で人は生きている
・養成課程、質、価値観、限界
・介護保険、サービス重視
・あたたかい介護(を掲げることだけにNo)
・寄り添う介護(を掲げることだけにNo)
・受け止める介護(を掲げることだけにNo)
・ここにいてもOKなんだ
・ヘルパーと家政婦
・介護と関係ない一般人は何も知らない
・免許(医療職など)と資格の違いは?ヘルパー、ケアマネは修了

IMG_2325.JPG

大きな柱としては

『福祉とは何か?』
『介護職の質がバラバラで、福祉云々の現状ではない』
『理想的な美辞麗句ばかりで言語化などができていない』
『概念や理念をしっかりと議論し尽くしていないのではないか』

という意見が出ました。


このような中で、テーマ本題の“福祉”が参加者がそれぞれの経験に基づいて語りました。


・生活の維持
・一人ひとりに合った
・平等に
・その人にとっての幸せ
・福祉の利用者に自分はなったか?
・困った時は?
・福祉の主体者は?
・弱者のためにあるもの
・利用者にとってはどうでもいい
・生活から自然発生的にできたもの
・福祉の意味の歴史的変遷を知らなければ


ここから色々と議論が進み次のようなキーポイントが出てきました。

【イメージ】
福祉に対するイメージは『社会的弱者救済』が強い。

【目的】
福祉の目的は一人ひとりの個別の幸せと、その集合体たる社会の幸せというところにあるようです。

【意義】
福祉があることで安心が得られる。生きることができる。保険、保障するもの。介護、健康、育児、医療・・・

【実践】
それを実現するマクロの福祉として『社会保障(制度)』が存在し、ミクロの福祉として『援助技術』が存在するという考えが広がりました。。

【援助技術】
専門的知識・技術を牽引し、専門職としてのモチベーションになるものが職業倫理や哲学である。

【基本】
相手の幸せを尊重できるための実践的専門スキルが必要。自分に置き換えて考える、などの考えは綺麗事で甘い。介護職は矛盾した考えを掲げている。



これらの意見が出たところで、議論のテーマが『福祉の対象者とは誰か』に移行していきました。

参加者の方がこれまでの『福祉の対象は社会的弱者』という概念はもはや古い。という意見を社会福祉学の研究者から引用して説明してくださいました。

IMG_2326.JPG

写真のように、縦軸を経済力、横軸を判断力として考えると、今までは左下を中心とした方々=社会的弱者に対する福祉が中心であったが、今は経済力も判断力も何不自由ないはずなのに、児童虐待をしてしまったり、不登校になったり、DVがあったりという現実がある。
また、別の例として夫婦共働きで生活ができるものの、子供がいたら、保育園(という福祉)がなければ生活が成り立たないという世帯も出てきている。

つまり、これまでのように、お金や社会資源に結びつく為の判断力が欠けている人が福祉の対象なのではなく、バルネラブル(vulnerable)(≒より傷つきやすい人)が福祉の対象になってきているのではないだろうか?

という意見が出ました。



この整理の仕方には、参加者一同考えさせられるものがあったようです。

現在の介護保険制度の対象者、というよりも介護保険制度の事業者が対象とする“利用者”はバルネラブルな人々が多数を占めていないか?
しかし、古典的な福祉の対象者は“社会的弱者”と呼ばれる人々である。しかし、介護保険制度下の事業に慣れている介護(専門)職は本来の福祉対象者をケアできる専門性を有していないのではないか?

いわゆる問題ケースに対応する力が介護専門職には欠けているというのだ。

介護保険制度ができて、介護の専門性が求められているのに、介護福祉としての専門性が欠落してきている矛盾が見える。


介護サービスの受け手を“利用者”と呼ぶのではなく、今改めて“対象者”と呼ぶべきターニングポイントにいるのではないだろうか。


ここまでに約3時間程の議論を行いました。

まとまりませんでしたが、このような内容でした。




ここからは私の意見です。

介護職は、社会構造上の変化や増大する社会保障費等、時代に追われて量産されてきたというのが現実でしょう。

実際に、社会福祉士および介護福祉士法が制定される時に『介護に福祉はつけなくても別にいだろう』『けれど、看護師との差異がなければ法案が通らないからとりあえず福祉をつけておこう』という程度のことだったという逸話も聞かれたことからも明らかです。

しかし、きっかけはどうであれ、せっかく介護福祉士に福祉という名がついている以上、その名に恥じない福祉職を目指すことが介護国家資格者の責務なのでしょう。

ところが、量産型専門職で、理念『介護の心(≒寄り添う、あたたかさ等)』が後付けでされたがゆえに、しっかりとした議論、哲学がなされないまま現在に至るのが介護の現状と言えます。


そうであれば、介護の哲学を今後更に積み重ねる必要があるのではないでしょうか。

介護とは何か?
福祉とは何か?
尊厳とは何か?
倫理とは何か?

など・・・・


私は少し前から感じているところですが、介護には哲学することが必要なのです。

何故か?

それは介護実践における思想的根拠を持たなければ、私たちは良い介護を目指して実践し続けることができないからです。

何故その人を介護するの?
どうしたあんな問題ケースを受けるの?
どうして福祉のために消費税をあげるの?
なんで、何の生産性も無い人間に介護するの????(外資系の友人の言葉)

私たちが現場で出会う様々な問い。なぜ?

これらに一つの光を差してくれるのが哲学することなのだと思います。


介護は草創期。

知識技術を牽引するための思想的根拠、つまり哲学することがおおいに求められています。


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「最近思う事は、理論・技術の前に、「ずっと寝ているのに、ずっと辛い姿勢」であることを同僚の介護職にいかに感じてもらうか。心に響かないと体が動かない。通り一遍の研修では改善しない。大きな課題なのです。」
この心に響くことの背骨が哲学ではないかな?と思います。

記事の「バルネラブル」うなずけます。多職者でのディスカッションは
貴重な発見に出会えて良いです。
Posted by ウエッティ at 2011年06月30日 12:14
ウエッティさんコメントありがとうございます。

心に響くこと。一番は実体験なのでしょうけど、それができない。非置換性が対人援助職ですね。おっしゃるように、背骨としての哲学、倫理は知識技術以上に必要なものですね。

多職種ディスカッションは本当に発見ばかりでした。

Linkスペース他、色々なところで継続していきたいです。
Posted by kinsan at 2011年07月01日 13:26
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