認知症の方のご家族の受容過程

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認知症の方のご家族の受容過程

2011年12月27日


認知症の方のご家族が認知症の方ご本人を受容していく過程というものを私たち介護職は学びます。

『ショック・戸惑い』『怒り・否認・抑うつ』『割り切り・あきらめ』『受容』

書物によって各段階の書かれ方はまちまちですが、私たちは認知症の方のご家族が今どの過程で揺れ動いているのかを見極めながら、適切な援助をしていく必要があると言われています。


今日は一人の認知症の利用者さんとそのご家族の受容過程を見ていく中で今思うことを書きたいと思います。


Aさん80代女性。娘さんと二人暮らし。アルツハイマー型認知症、高血圧症。
Aさんは長年北陸地方でご主人と二人暮らしでしたが、ご主人が他界されてから軽い物忘れが出てきたため、娘さんのお宅に呼び寄せられました。

私が新規の契約で伺ったのは3年前。Aさんは要支援1で身の回りのことは何でもできました。表情も豊かで編み物や園芸など多彩なご趣味をお持ちでした。
利用目的は環境変化に伴う閉じこもり防止と社会的交流の保持でした。
Aさんは社交的で明るく、すぐにデイサービスでも人気者になり、様々な活動に積極的に取り組まれていきました。


3年間でAさんは要支援1⇒要支援2⇒要介護1⇒要介護2と段階的に介護度が重くなっていきました。


3年間のうちに、自宅のベッドから転落した以外は特別ADL低下に関わることはありませんでした。

しかしアルツハイマーの進行は確実にあり、脳の委縮は着実に進んでいきました。
それにより自宅ではもの忘れ、見当識障害が進み、意欲低下も進み、自ら行動することが減ってきました。

中でも娘さんを困らせたのは尿失禁です。
はじめは布パンツだったAさん、パット使用、リハビリパンツ使用とその導入の度に娘さんと衝突。
次第に娘さんのストレスも増しAさんにきつく当たるようになりました。


「私が居ないと何にもできないくせに!」
「お母さんのせいで私の人生めちゃくちゃよ!」
「お母さんなんて死んじゃえばいいのよ!」


私たちスタッフが居る場面でしたが、娘さんが感情的にぶつけられる事もありました。

そして、落ち着いてから自責の念と後悔に苛まれ「私はなんてことを言っちゃったんだろう。病気のせいなのにね」
と大粒の涙をこぼすことも何度もありました。



Aさんの認知症の状態や意欲は娘さんとの関係性に比例して浮き沈みしながら、そして少しずつ進行していきました。

今ではデイサービスは週3回。入浴が2回。ヘルパー訪問も週1回。
以前ご自宅でしていた猫の世話や庭掃除も今ではできなくなり、娘さんが起こさないと昼過ぎまで寝たままでリハパンをぬらすこともしばしば。
汚れた下着をトイレに流して詰まることも。。。

デイサービスでは他者に自ら話しかけることは減りました。お話しかける事柄について7割は否定から始まるようになりました。
「Aさん12月で寒いですね」
「北陸はこんなもんじゃないわよ。こっちの人はダメね」

「Aさん、猫ちゃんは元気ですか」
「猫なんて飼う人の気がしれないわね」

様々な喪失から少しでも自分を保とうとされているのではないか。そんなAさんを尊重しながらの介護を私たちは続けています。



娘さんはまさに冒頭の受容過程を揺れ動きながら進んできました。
ご自身でインターネットの情報を仕入れたり、家族会等に参加したり、自らお母様の認知症について学ぼうとし、声掛けなどを努力されていました。

「否定しちゃだめなんですよねぇ(笑)」
「わかってはいるけどねぇ」
「母が一番苦しんでいるんですよね」

と娘さんはよくお話ししてくれました。



先日要介護2になったAさんの担当者会議が開かれました。

そこで最近のご自宅やデイサービスでのAさんの様子を共有したところ、穏やかで表情も明るくなり、少し前よりも介護拒否が無くなり、失禁も減ったということです。
娘さんとの関係が良好なことやデイサービスでの関わりが良い影響として表れているのでしょう、ということでした。

Aさんも「幸せですよ。いまのままでいいですよ」とニコニコされていました。

私たちは娘さんの献身的な介護について承認していると娘さんは心情の変化ときっかけをお話しくださいました。


「お医者さんに言われたんです。『もうお母さんは一瞬しか生きられないんだよ。覚えられないの。そう割り切らないとダメだよ』って」
「私吹っ切れました。その言葉で。だって、仕方ないんですもんね。忘れちゃうんだから」と微笑んで言われました。
「認定調査員の人にも『丁寧にゆっくり話せばいいんですよ。怒ったり焦らせるとダメですよ』って言われたんですよね」


そして


「マニュアル通りにやればいいってことですよね。そうすれば母も穏やかなんだからね。やっとわかりましたよ。できるようになりました。」


そういって顔は笑いながらおっしゃったのです。どこか憂いの表情も混ざりながら。



私たちの目線から言えば、娘さんは確かに認知症の方の家族の受容過程を順番に辿り、今はお母様の認知症を受け入れて暮らせていると教科書的には言えるかもしれません。
でも、本当は受け入れきれていないのではないかなぁと思ってしまいます。
自分の親とマニュアル通りに付き合わなければいけないこと、どれだけ辛いだろう。でも、そうしなければお互いの生活と関係が壊れていってしまう。そんな中で今の着地点に一応立てている。かろうじて立てている。

諦めの先にある受容。本当は諦めきれない中で揺れ動き続けるのがご家族の受容なのではないのかな?
もしかしたら、本当の受容なんてないのではないかな?



これからも揺れ動き続けるであろうAさんの娘さんとAさんご本人。
受容しきれない、本当の受容なんてできない中でお二人はこれからの残りの時間を過ごしていく。
そう考えて私たちはお二人のお手伝いをし続けていきたいと思いました。

そして私たちは「娘さんはAさんの認知症を受容できた、できていない」なんて簡単に言ってはいけないし、評価してはいけないんだと思いました。

こういう謙虚な態度と、でも客観的に評価する視点。両方必要ですね。。。
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Category 認知症

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この記事へのコメント
いろいろな方のお話を直に聞いたり、ブログで読んだりしています。
最終的には【受容】する事で、介護者は落ち着いた日々を過ごされているよう見えます。
でも、そこに行き着くまでには何年という時間が必要かと感じます。
また、介護中は本人を目の前にしての【心のゆれ】があり、終わって年数がたてば【後悔・納得】のゆれが続くようです。

読んだ本にこういう文章がありました。こういう苦しみが一番辛いのでは?
[「私は母を二度失いました。一度はアルツハイマーで、二度目は死で」家族は、自分達が知っていた人物の脱け殻を介護し続ける。その期間が八年から十年と、長くなる場合もある。そして家族の多くは、二度の死を嘆くのだ。](夫の死に救われる妻たち 飛鳥新社)
Posted by jacob at 2012年01月15日 21:09
jacobさんコメントありがとうございます。

私たち介護保険制度で介護に従事している者は“その後”に関わる機会は本当に少ないもの。

それぞれのご家族の“受容”はそれぞれなされるのでしょうけど。。。どこかやるせなさを感じます。

ご紹介いただきました一節、私もどこかで拝見したような気がします。今家庭を持ち、改めて、ご家族の想いに一つ近づいたように思う今日この頃です。
Posted by kinsan at 2012年01月17日 02:00
このAさんの娘さんの以前の姿は、まさしく私です。

でも、私は受容なんて絶対に無理でしょう。
病気だからとわかっていても、無理です。

私がわからなくなった時、私は母を捨てようと決めています。
そうなる前に死んで欲しい、尊厳死を認めて欲しいと切に願っています。
そんな願いが鬼ならば、私の命も一緒に消してもいいから!と思います。

ケアマネさんは良い人です・・・が、ただ良い人であるだけで、マニュアルの人です。
母の事を心配しても、介護する側を思いやらない人・・・。

母の心配は私がするから、私の心配をして欲しい。
私が母や自らを殺さぬように・・・そんな配慮が欲しいと思います。

介護で金を稼ぐ人は、所詮は商売人と同じ。
サービスを売っているだけです。
それも時として、的外れなサービスの押し売り。

サービス、サービスって簡単に言うけど、すべてお金がつきまとうのに、サービスではないでしょ?と、問い詰めた事が有ります。
我が家の歩んできた道も我が家の今の収入も知らないで、利用料がかかることばかりなら、それはケアマネさん自ら、母と私の首を絞めている場合もあると思っていない・・・愚かな人。

認知症・・・昔はそんなに気付かなかったのは、皆年寄りがきちんと死んでいったから。
今は医学の進歩で長生きするようになった為に、目につくようになった病気。

認知症患者の年金、保健の為に、多額の税金を使う方が無駄だと考えています。
老いたら死ぬ・・・これが本来の人間の姿だと思います。



Posted by mon2monjp at 2013年04月23日 01:32
mon2monjpさん、コメントありがとうございます。

現在お母様の介護をなさっているのですね。
私の両親はまだまだ元気です。そんな私はmon2monjpさんの大変さ、お気持ちを察するなどと言うことはできません。
私たち介護の仕事に携わる者は介護の利用者ご本人への支援を学びますが、ご家族への支援に関してはまだまだ不十分です。従事者の中にはmon2monjpさんがおっしゃるように、逆にご家族を傷つけたり、追い詰めている者がいることも事実です。
そんな私たちが介護を一生懸命やっている、「待遇を上げろ、賃金を増やせ!」と声高に叫んでも、利用料を払う側としては納得がいかないことですね。憤りすら覚えると思います。

私がこの業界に飛び込んだ頃、あるご家族から初対面で「あなたたち介護職は私たち家族の敵なのよ!」とぶつけられたことがあります。それまでご本人に対する介護ばかりを考えていた私にとっては衝撃的でした。いかに、自分が、また介護の教育がご家族を抜きに語られているかを知りました。

記事の娘さんもそうですが、受容なんて結局研究者が後付でまとめたものです。受容する必要もありませんし、受容しなければならないこともない。受容という言葉が今はあてがわれているだけ。色々な受容があるはず。と私は思っています。ただ、受容を「習う」介護従事者に向けて字面だけの理解をして欲しくないと思い書かせていただきました。

mon2monjpさんのコメント真摯に受け止めさせていただきます。改めて自分の仕事の重みを教えていただきありがとうございます。

Posted by kinsan at 2013年04月23日 12:40
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