老後をより良く生きて頂くために必要なこと

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老後をより良く生きて頂くために必要なこと

2012年4月11日

私は今のデイサービスに勤めてもうすぐ5年になります。
私が入職する前から利用されていた方はだいぶ減りましたが、今も十数人くらいいらっしゃいます。

5年は長いようで短いものです。
初めてお会いした方々も70代の方が80代に、80代は90代になります。
私自身がもうすぐ三十路。月日が経つのは早いものです。

私の5年と、要介護の方々の5年では身心の変化は大きく異なります。

今日は、“老・病・死”などを感じ始めている利用者さんを通じて人の生について考えてみたいと思います。



独居で80代女性のSさんは、初対面の時は、お友達と電車で映画を見に行ったり、若い人に交じって地域のハイキングクラブで活動したり、町内会で役員をされていました。
一見、自立判定が出そうな方ですが、介護保険制度が始まった当初だったので、独居と糖尿病ということで要介護1判定が出ていました。

しかし90を前にした最近、耳が遠くなり周囲の会話に交じれなくなってきました。
持病の糖尿病も少しずつ進行し、目が見えにくくなってきています。
先日体調不良で通院したところ、心房細動と診断され気落ちされています。
これに加えて、薬の副作用ということでしたが、めまいや手足、唇の震え、不眠などが表れています。

外出を控えるようになり、地域での交流も少しずつ減ってきました。


先日Sさんの日頃の想いをうかがう時間がありました。

S「最近体がだめねぇ。本当に。90近くなるとこんなにもダメになるものかしら。」

私「僕が初めてお会いしたころは町内会の役員さんをされたり、色々と活動されていらっしゃいましたよね」

S「最近は病院とデイサービスしか行けないの。怖くて。また倒れたらどうしようとかね。90まで生きられるかなぁ」

私「90まで生きたいですか?やりたいことがあるんですか?」

S「いっぱいあるわよ。。。自分の身の回りのことをちゃんとやりたいのよ。遺言も書いたし、お墓も買ったし、最期の施設も考えているの」

私「それでもまだまだやり残したことがあるんですね?」

S「そう。。。でもね、やる気力が湧いてこないの。今までこんなことはなかったのに。やらなきゃいけないのにできないで毎日が過ぎていくの」


Sさんは今まさに“老・病・死”というものを意識しだしたのだと思いました。
今のSさんをしっかりと受け止め、そして残りの人生をどう生きていくかを一緒に考え、支援していくことが専門職として求められると思います。


さて、話は変わりますが、先日異業種交流会で『より良い老後』について介護関連ビジネスを展開されている経営者の方やIT関連の方々と意見交換をしてきました。

私は介護現場から見える老後のリアルについて、彼らにSさんのことを話しました。

私の話を聞いた彼らは、Sさんのような方がより良く生きるための『サービス』『システム』が不足していると強く主張されていました。
地域の活動やネットワーク、情報、楽しみや生きがいを持ってもらうことで、もう一度Sさんはイキイキできるはずだとおっしゃっていました。
介護保険制度の中でそれらのすべてをまかなうことは難しいから、これからは民間がサービスをより充実させていくことでこうした老後がよりハッピーになるはずだと。

彼らの意見は一つの正しい答えだと思います。
私はそういうサービスやシステムの充実によってよりよく生きなおせる人がいることは事実だと思いました。本当にそう思います。

しかし、この場でいわれる『もう一度より良く生きる』という言葉には『明るく、活力あふれ、前向きに、楽しく、充実して生きられること』というニュアンスが含まれているように感じました。
どこか『老・病・死』を意識しだした人の目線とは異なる、私たち現役世代の尺度での『より良く生きる』としてとらえられていると思いました。


以前、あるがん患者さんが残した手記を見たことがあります。そこには

「がんという宣告を受けた時、それまで自分が当たり前の日常だと思っていたことが幕を一枚隔てて遠いものとなった。今私はこれまで非日常だと思っていた“死”を日常とした今を生きることになり、お医者さんも家族も、もはや私と同じ世界を生きているのではないと感じた」

おぼろげな記憶なのですが、このような内容だったと思います。


この手記に書かれたことは、Sさんが感じているものと近いものではないでしょうか?確かにSさんはまだ身体的には自立していますし、金銭的にも余裕があり、まだまだ現役世代基準でより良く生きることができる可能性があります。
しかし、今Sさんは幕を一枚隔てた非日常を日常として生きているのではないかと思います。もしくは、その境目で葛藤されているのだと思います。

このような心情のSさんには、どんなに良いサービスやシステムがあっても、より良く生きることはできないのではないかと思います。



より良く生きるって、世間一般的な感覚では『死』を含めないことではないでしょうか?
もしくは、死を意識しない若さや時間的未来や健康がある人が語る言葉ではないでしょうか?

本当により良く生きるならば『死』も含めて生きることではないかと思います。


サービスやシステムなどの社会資源があること、整うことは強く求めるところです。
だけれど、それだけでは人はより良く生きることはできないのではないでしょうか?


だって人は必ず死ぬんですし、できることが減っていくのですから。避けて通れないことなんですから。


だからこそ、私たち介護職はそうした『死』を含めた生を生きる利用者さんたちの同伴者にならなければならない。
つまり、一緒に『老・病・死』を受け入れなければならない。
そして、同時に社会資源を必要に応じて結び付けられなければならない。

ですから、私たち介護職は現役世代基準のより良い生き方だけで利用者さんに接していてはいけない気がします。



異業種の方々の一般的な感覚に触れたり、最近やたらと目にする有名企業のデイサービス参入の中吊り広告のキャッチコピーを見て、そんなことを思った次第です。

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この記事へのコメント
最近まで勤めていたデイサービスでも感じることがありました。

Kinsanさんと同じく5年半ほど勤めていたのですが
私が初めてお会いしたころの利用者さんと今とでは気持ちの置きどころが違う様な気がします。

いつも「生」と「死」の狭間で揺れ動き、「老」のためにやりたいことが制限されていくことに
不安を持ちながら生活をしているなと感じます。

なんでもできて、不自由を感じていても気力や体力がカバーしてくれる私たち現役世代は
到底この不安な気持ちを理解するとこはできないだろうと思っています。

ただ、介護職として、身の置きどころのない不安な気持ちに寄り添い、できることを模索し、
最期のその時まで全うできるようにお手伝いができたらと思うのです。


余談ですが・・・
私の勤めていたデイサービスでの話。
加齢とともにネガティブになったり、やけっぱちになったりする利用者さんがいらっしゃいましたが
それに対し介護スタッフが、「ホント、ネガティブで参るよね〜」とか「痛い痛いって動けてるじゃん」とか、なんというか介護辞めたほうがいいですよという発言の方がいらっしゃるんですね〜。

介護の仕事って片手間でできるような簡単で単純な仕事じゃないと思うんですよ。

なんとも違和感のあるキャッチコピーで介護施設のCMを見たりするのも、こういうの通じるのかしら?と思ったりします。

長々失礼しましたm(__)m

Posted by ユズサニー at 2012年04月12日 13:54
ユズサニーさんコメントありがとうございます。

この業界離職率も高いですし、異動も多いです。

ですから、同じ利用者さんに長くかかわることができるって幸せなことなのだなぁと感じています。
それは同時に、その方の死への歩みに共に私たちも向き合わざるを得ないということです。

避けて通れないもの。

元気で、いきいきすることは素晴らしいことだと思います。

でも、最期の人はそういう状態ではなく、穏やかに、感謝して、微笑んでいけるといいなぁと思うのです。

私たちは現役世代の立場にありながら、常に”老、病、死”と向き合う人に同伴するという難しい仕事をしているのだと思います。
ですから、それを忘れたとき、介護職は、現役世代基準の押しつけ屋になってしまうのではないでしょうか。それだけはなりたくないと思う今日この頃です。
Posted by kinsan at 2012年04月14日 16:04
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