空白の時間に対するリスクと心得

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空白の時間に対するリスクと心得

2013年10月29日


在宅介護の限界点を高めることのうち、大きなウエイトを占めるのが“家族の安心感”にあると思います。
そして、その安心感の一つの要素に『一人でいる時の安全』があると私は考えています。
ようは、利用者さんの身が安全であるよう見守っていられたら良いのですが、介護において24時間365日の完全なる見守りというのは不可能です。
利用者さんに目が行き届く時間と時間の間に必ず空白の時間が存在します。もちろん傍にいても事故が起こるときはおこるものです。
そして施設介護に比べて、在宅介護はさらにその空白が長い時間になります。

今日はこの“空白の時間”に対する家族と介護職の違いを考え、介護職のあるべき姿を考えてみたいと思います。


まず、話を私の体験からスタートさせてみましょう。
私には生まれて3ヶ月目になる娘がいます。
とても泣く子で、酷い時は気が狂ったように泣き喚き、顔を真っ赤にして酸欠になりそうなくらい泣きます。

私は周囲の人から「子供は泣くもの」「うちもすごく泣いた」と聞き、母親から「あんたはものすごく泣いた」と聞いてるのでそういうものだと思っておりました。
直近の検診や通院でも異常はなく、体温も正常で、ミルクもオムツも替えています。何より毎日同じような感じなので、特に問題はないと感じているのです。
泣き疲れてそのうち寝ると思っています。

しかし、妻から「あんなに泣いているのに何にも感じないの?」と言われました。

妻の心情としては、周りから「子供は泣くもの」と言っているのもわかっているし、ミルクもオムツも替えているし、問題はないということは頭ではわかっているのですが、泣きじゃくる我が子を見て辛くなり、泣いている娘がかわいそうで涙がでてきてしまう、と言うのです。
私が仕事中は、目が離せないので、常に見えるところにいるようです。トイレへ行くことも不安になるとのことです。

「やっぱり専門家なんだね。頭ではわかっていても、気持ちとして一人にできない、割り切れない」と妻は言います。


こんな育児と一緒ではないと思いますが・・・

在宅で過ごす利用者さんも、日中独居であったり、完全独居であったり、夜間帯一人になる日があると、家族は心配でなりません。
転倒したらどうしよう、セールスが来たらどうしよう、もし何かあったらどうしよう、大震災が来たらどうしよう、ということの心配にまで不安は広がります。
家族であるがゆえに、自分が見られない時の心配をすることは当然で、また後悔もしたくない。
だからこそ、デイサービスで人の目がある時間を増やしたいと思うし、ヘルパーさんに長くいてもらいたいと思うし、夜間介護施設なりに泊まってもらえると安心なのです。
その心配が臨界点を超えたとき、入所を決断するのでしょう。

「心配したらキリがない」「頭ではわかっている」でも・・・

こうした家族の葛藤、やるべきことを全てやり尽くしても、最後、抗えないことに対して不安を持ち続け、割り切れないのが家族の心理なのではないでしょうか。


これはある意味家族だからこそできる、家族らしい葛藤であると思います。


一方我々介護職はこうしたことに対してどうあるべきでしょうか。
空白の時間に対してフォローしきれないことがあることは事実です。
しかし、「そこまではどうしようもないよね」と割り切ることはしてはいけないと思います。心理的に割り切るのは家族だけです。

介護職がすべきなのは『判断』ではないかと思います。

まずはリスクを最小限に抑えること、やるべき手段は実施すること。その中で家族や本人ができることの協力も引き出さなければなりません。
そして、そのできるかぎりを提案した上で、リスクと現実問題と、希望をすり合わせ、本人やご家族の自己選択、自己決定を促すのです。
その本人たち主体の同意が得られた時、介護職としては空白の時間に対するリスクに線引きをする『判断』をするのです。

これが、十分な手段の提案や、説明責任、合意を得ずに、私たち側でしかも気持ちとして「仕方ないよね」と“割り切る”ことがあってはなりません。割り切る主体は我々ではないのです。


もちろん私たちも人間ですから、空白の時間に対して情緒的な揺らぎがあることは事実ですので否定はしません。

しかし、プロであるからこそ、やるべきことを行い、そして、心理的に葛藤する本人やご家族の心情を汲み取る中で方向性を提案していかなければなりません。



子育てと介護は同じではないですが、対比されて例示されることがこれまで多かったです。
今はなんとなくその意味がわかってきました。
共通項について考えるきっかけとして、現在は良い経験をさせていただいております。

ただ、やっぱり私も娘が泣きじゃくっていたら、悲しくなるものですf^-^;
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この記事へのコメント
初めて拝見させて頂いております。

今回の記事しか見ていないので、言いたいことはもしかすると他の場所にあるのかもしれませんが…の前提で書きます。

介護職が判断すると言うのはいかがかと思います。

記事にもあるとおり、

「プロであるからこそ、やるべきことを行い、そして、心理的に葛藤する本人やご家族の心情を汲み取る中で方向性を提案していかなければなりません。」

で、あれば「判断」ではなく「より多くの選択肢の提供」ではないでしょうか。

「判断」はあくまで「御本人様やご家族様などの意思決定者」にお任せし、より良い生活を送っていただける為の、数多くの選択肢を提供し、その先を共有する事が大切なのではないかと考えておりますがいかがでしょう?
Posted by 鬼丸 at 2013年10月29日 19:57
鬼丸さん、コメントありがとうございます。

介護職にとって判断するという事項は必ず必要なものだと私は考えています。

おっしゃる通り、より多くの選択肢の提供は必要なことであり、私たちのなすべきことだと思います。その選択肢の中から意思決定者であるご本人、ご家族が選択という『決断』をします。
そして、その後は、我々援助者と『合意』というプロセスを経ます。
その合意を持って、介護職は、この方向性でやっていくという『判断』の根拠になる。

このような意図で書いてみたつもりです。

また、個人的に思うのは、自己選択・自己決定はややもすると利用者・家族への丸投げになりかねず、伝家の宝刀になる可能性もあります。バイスティックも自己決定の例外などを記されています。

私たちは、相手に多くの選択肢を提供することは大切ですが、その中から本人たちが“選べるような支援”も入ります。意志を決定するというプロセスは実は協働作業なのだと思います。
Posted by kinsan at 2013年10月29日 22:19
支援の方向性の裏づけとなる「ご利用者様及びご家族様の意向」を基にした「判断」と言う事ですね。

「判断」はするものの、その「ご利用者様及びご家族様の意向」の奥にある葛藤にも眼を向けて支援を行うことの重要性を書かれていたのですね。

初めて拝見したものですから失礼があれば申し訳ございません。

「協同作業」については私も常々そう考えてさせていただいております。

ご利用者様の生活・人生を共に創り上げていく介護士さん達は「ワーカー」というよりは「クリエイター」ではないかと考えております。

ご丁寧な返信ありがとうございました。

今後も楽しみに拝見させて頂ければと思います。

では。
Posted by 鬼丸 at 2013年10月30日 10:22
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