認知症の方の「帰りたい」に向き合った10年

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認知症の方の「帰りたい」に向き合った10年

2014年2月12日


認知症がある利用者さん。これまでたくさんの「帰りたい」という言葉に向き合ってきました。
そんな利用者さんに対して私たち現場介護職は悩み、誠実に、寄り添い、嘘をつき、話をそらし、色々と試行錯誤?悪戦苦闘?しています。

私は認知症の方でもそうでない方でも、介護福祉士として、対人援助のプロとして向き合いたいと考えています。
しかし、現実はまだまだ理想には程遠いのかもしれません。

そのことに対して憤りや無力感を感じることもありました。
しかし、ふと自分自身を振り返り、これまで自分はどのように、また何を学びながら認知症の方の「帰りたい」に向き合ってきたか?
現在とこれからを考える上でも一度整理をしてみようと思いました。
これまでの私の経験にお付き合い下さい。


【騙し、嘘をつく】

私が認知症の方の「帰りたい」に初めて向き合ったのは今から11年前。学生時代にグループホームで夜勤のアルバイトを始めた頃でした。
当時は介護保険制度の導入により、グループホーム、ユニットケアが認知症介護の切り札!と言われていた頃でした。
家庭的な雰囲気の中、少人数の顔馴染みのスタッフが穏やかに認知症の方に介護をする。

学生ながら、そんな理想の現場で経験を積みたいと飛び込んだのでした。

しかし、今から思えばまだまだグループホームとしての機能や意義は浸透しておらず、情報共有など、様々な点が手探りの状態でした。
私も充分な研修を受けずに夜勤を任されました。
最初の志は次第にしぼんでいき、繰り返される利用者さんの意味不明な言動に苛立ち、時にさげすみ、とても給料を頂くレベルではありませんでした。
自由なキャンパスライフと比較して、一言で言えば面倒くさくなっていました。

そうした中、私は繰り返される認知症の方の「帰りたい」に対して

「大丈夫ですよ。もう夜ですから部屋で寝てて下さい」
「明日帰れますよ」
「さっきも言ったじゃないですか 」
しまいには仮眠室にこもってやり過ごす。
なんてこともしました。

振り返ると、ただただ恥ずかしく情けない仕事をしていました。
実習もあり三ヶ月ほどで辞めました。


認知症の方への支援がわからない、そもそも、対人援助職としての職業倫理も、指導してくれる人も、仕組みも何も無いような気がしました。



【がむしゃらに頑張る】

私は大手の介護企業に新卒で入社しました。そして運命の配属はグループホームのオープニングスタッフでした。
新卒正社員、福祉系大学卒の私は他のパートさんや非常勤さんたちと大きな差もなく、同じような経験量で現場に入ったのです。
しかし、自他ともに感じる正社員、福祉系大卒のプレッシャー。グループ本社の新卒入社時研修で培われたお客様第一主義。

学生時代の私に別れを告げ、私はスタッフのリーダーとして、大学で学んだ福祉理念と、会社の経営方針を体現しようと努めていました。

ですから認知症の方の「帰りたい」の言葉に愚直に誠実に向き合って、いるつもりでした。

「とりあえず、こちらでお話を聞かせて下さい。お茶でも飲みませんか」
「ほら、こちらがAさんのお部屋ですよ」

がむしゃらでした。
オープニングスタッフたちに囲まれて正社員は私だけ。私に認知症介護を教えてくれる先輩はおらず、事業所の運営を管理する上司がいるだけでした。

次第に
「鍵が閉まってますね。開けられないから戻りましょう」
「お家に電話しましたけど出ないですね。留守じゃないですか」

と、出口の見えないやり取りに罪悪感を感じながらなんとかやり過ごしていました。

そんな対応を繰り返す中、本気でご立腹された男性入居者さんから杖で頭を殴られた事は忘れられません。
それでも、私は怒らずにニコニコして我慢するのが介護の仕事、と他のスタッフの目を気にして痛みに堪えていました。

なんの解決もないまま、異動になりました。




【話を聴く】

訪問介護員として独居の認知症の方のお宅へ行くようになりました。9年前くらいです。

当時は管理者をしていたので、やはり認知症介護について私に指導をしてくれる人はいませんでした。

管理者と言う立場からスタッフの教育もしなければいけない時期であり、認知症介護の書籍を読み始めた頃でした。



寝たきりで要介護5、明治生まれの笑顔がステキな女性でした。言語の理解はできますが、お話が繋がらずにあちこちに展開してループするようなコミュニケーション状態の方でした。

訪問内容はおむつ交換と夕食の介助、身体2でした。

時々、食事を嫌がり、「帰りたい」とおっしゃることがありました。

幸か不幸か、寝たきりの状態でしたので、私は業務の手を止めて、じっくりと女性の言葉に耳を傾けるようになりました。



「帰りたいんです」

私「帰りたいんですね」

「子供が帰ってくるから帰らなきゃ」

私「お子さんが帰ってくるなら帰らなきゃいけないと思いますよね」


話を聴いていると突然

「ねぇ、お父さん、ありがとう」


と私におっしゃり、安心したように目を閉じられました。30秒くらいですが長い沈黙の後に目を開けた彼女はニコリと笑顔になりこう言いました。

「お腹すいたわ」



話を聴くということ、相手が何故帰りたいのか、その帰りたい気持ちにまず共感的態度を示す。そんな本に書いてあったことが実際に目の前でできた時でした。





【なぜか考える】

転職したデイサービスでのこと。熟達した専門職としての先輩達に囲まれ、初めて私は良い介護とはなんであるか、を教え、見せて、共に考えてくれる現場に恵まれました。



ある要介護3の認知症の男性。某大企業の幹部まで勤めたバリバリのビジネスマン。社交的で明るいご性格でいつもニコニコしていました。

この男性は午前中は穏やかに過ごしていたのですが、ある時から午後になると「じゃぁそろそろ」と急に帰りだそうとして外へ歩いていってしまうようになりました。

一通り一緒に歩くと疲れて戻ってくるのですが、歩きつかれて午後はウトウトしてしまっていました。


本人の「帰りたい」に付き合って一緒に歩くことで、とりあえず戻ってこられる。本人に寄り添っている。。。。のか?と思っていました。


先輩方は「なぜ帰りたいと思うのでしょう」という、本人の行動に対する事後的な応対ではない、ケアを考えていました。先輩達と一緒にアセスメントとカンファレンスを重ねました。しかし、色々と仮説を立てて対応してみましたが、どうにも上手くいきません。


「そいじゃぁ、ごちそうさま〜」


ある先輩がこの食後の一言に着目しました。

「もしかして仕事の昼休みの定食屋と思っていらっしゃるのかな。昼休みの後にすることって?」


ということで、昼食後に大工仕事や車の洗車、仕事らしいところでは、事業所の書類の印鑑押し、男性利用者同士を集めて名刺を作って交換会と交流の場作りなんてことをしました。

それからは食後に外へ出て行って、何かを探して、歩き回って疲れてぐったり、という状態はなくなりました。


何故?をアセスメントし、カンファレンスをし、ストレングスを見出して介護につなげる、という一連の流れを体験しました。


それから、出会った「帰りたい」とおっしゃる方には、役割支援、仲良しの方を作る関係支援、どうしても帰りたいならば帰れる環境、安心できる、居て良いと思える場所作り、ご家族との話し合い、これらを約六年の間、体験していきました。



【他職種連携】

小規模多機能型居宅介護事業所に転職しました。この一年です。

要介護1の方で自宅でも事業所でも「帰りたい」とおっしゃることがありました。
他の周辺症状も出てきて、ご家族への興奮した当たりも強い方でした。
一年以上通院を拒否し、ご家族が本人の興奮ぶりを伝えに行って薬をもらっている状態でした。

どうにも「帰りたい」という発言と他の周辺症状が強く、ご家族も疲弊していたので、宿泊サービスを利用して頂き、日中から夜間帯までの記録を取り、「帰りたい」という発言からの詳細な会話記録を取りました。
それを主治医に提出し、実態を把握された主治医から薬の処方の試行が始まり、次第に興奮が収まるようになるました。

「帰りたい」という発言が完全に消えたわけではないのですが、医療との適切な連携により、周辺症状の程度が小さくなり、ご本人、ご家族のQOLは向上したと思われます。

介護が医療と連携するために必要なこと、その人の苦悩を多職種の連携によって緩和することができると知りました。医療と温度差を感じていてはいけない。チームなんです。



【真実を共有する】

「帰りたい」という発言も含めて、机やスタッフをガンガン叩き、大声をあげて興奮する周辺症状が著しい利用者さんがいました。
認知症高齢者の日常生活自立度でいうとVa〜時にW程の状態で、周囲の利用者さん、スタッフ、ご家族もどう対応してよいか全くわからない状態でした。
言語のコミュニケーションは難しいことが多く「わからない」と「馬鹿!!!」を興奮して繰り返し、辺り構わず叩きまくっていました。

ある頃、筆談によるコミュニケーションがある程度可能だということから筆談によるアセスメントが始まりました。
筆談でも興奮して叩きますが、書いた文字は真剣に読んでいらっしゃいました。
ご本人は何故ここに居なければいけないのか、家にどうして帰れないのか「全くわからない!」と興奮されていました。

私はご家族が疲れていること、それはあなたの介護のためである、ということ、を伝えました。
色々と説明をしますが興奮はおさまりません。

「私は家族に迷惑かけてない!」
と怒ります。

当然です、一番納得がいかないことを伏せているからです。

私は覚悟して書いて伝えました。

「Aさんは、わからなくなるんですよね!?私はAさんはわからなくなる、忘れてしまう病を患っていらっしゃると思います」

ご本人はじっとその言葉を読んでいました。読んで、目をつむり、また読んで、そして考え込んでいました。そして思い出したように興奮してまた私を叩きました。

叩いて叩いて、筆談の画用紙もなぎ払いました。私は叩かれながらそれでも、その文字を差し出しました。

じっと文字を見つめたAさん。

私は「それでもAさんはAさんです」と書いて見せました。


沈黙がありました。

そして、フッと、空気が変わり、顔を見合わせた私たちは、二人でニコリと笑い「疲れましたね」と私が言うと「そうね」と応じて下さいました。

それから、これが要因か定かではありませんが、激しい周辺症状も「帰る!」といきり立つこともピタリと止んだのです。


今でこそ、若年性の認知症の方の中には告知を受けて、認知症と一緒に生きようという方が増えてきました。

しかし、私たちが関わる認知症高齢者の多くが、自分は認知症であり、介護が必要な状態である、ということを知らず、受け入れる機会もないままに過ごしています。
知ることが絶対だとは言いませんが、Aさんが”わからない、ということの理由をわかっていただく”にはこれを伏せることは出来ない、と思ったのです。

認知症の方と共に生きると思うならば、私はそれを伝えた人間として覚悟をしなければならない、責任を持たなければいけないと思っています。


【まとめ】

認知症の方の「帰りたい」に対して、10年弱の間で私の対応は変化しました。
少なくとも良い変化であると信じています。
その変化を支えたのは知識や技術だったかもしれません。
良い介護を教えてくれる先輩、職場が大事だったとも思います。
仕組みも、話し合える職場も、制度も、働く事業所の形態もあります。

恵まれていたのかもしれません。

でも、たまたま恵まれた環境で育った介護職に当たった認知症の方はラッキーだ。
というのでは悔しすぎます。

一人でも多くの介護職が学び、認知症の方の「帰りたい」にしっかりと向き合えるような環境が整うことを願って止みません。

11年前は私も認知症の方を騙し、嘘をついていました。
今は認知症介護の理念も知識も技術も研修も11年前より恵まれています。
どんな介護職員だって必ず認知症の方の「帰りたい」に向き合えるようになるはずです。
そう信じて一緒に頑張りましょう!
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Category 認知症

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