専門バカによる認知症状をお持ちの方の理解

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専門バカによる認知症状をお持ちの方の理解

2014年6月13日


最近はお陰さまで新規の利用者さんが増え、連日アセスメントシートとにらめっこな日々です。

インテーク、初回訪問、課題分析、ニーズ、計画書・・・

努めて利用者理解をしようとしている今日この頃。
この方にどのような支援が必要だろうか。この人はどのように生活を送りたいとお考えだろうか。。。


ついでにケアマネのアセスメントと介護福祉士のアセスメントは視点にどんな差異や共通項があるのか・・・などと妄想しております。


小規模多機能型居宅介護事業所では認知症状をお持ちの方が多いので、本人の主訴と家族の主訴、顕在ニーズや潜在ニーズが見えにくく、認知症状がない方のそれよりも読み解いていくことが難しいです。

利用者さんとお話をしながら、短期記憶障害の具合はこのくらいかな、この話題が大切なエピソードなのかな、と談笑しながら頭で別のことを考えている自分。


『認知症状をお持ちの方の理解』


これまでたくさんの認知症状をお持ちの方にお会いして対人援助の専門職として向き合い、専門職として支援を考え、展開してきたつもりでした。

そんな専門バカになりつつある自分の気づき。ハッとさせて頂いたことを今日は書いてみます。


先日の夜勤の時のこと。

要介護2のTさん、80代女性、認知症高齢者の日常生活自立度Va。歩行時の膝の痛みはありますが、なんとか自立歩行。排泄などの日常生活動作に言葉がけや見守りが必要です。
言語コミュニケーションは1センテンスで言葉をかけると、かろうじて意味を受け取れるか、理解ができずに怪訝そうな表情になり「そうですね」「私忙しいです」「はぁ」とつぶやかれる状態。
意味を受け取っていただけても、行動に結びつかなったり興奮してしまうこともしばしば。


そんなTさんが宿泊ご利用だった時です。

Tさんが夕食を終え、私は台所で片付けをしてフロアを行き来していました。
ふとTさんを見ると、ティッシュを一枚広げて、そこに私が置き忘れたボールペンで熱心に字を書いていました。

Tさんが字を書くどころか、ボールペンを持っているところを見たこともなかった私は驚き、Tさんのお隣に座り、彼女が書き終えるまで観察していました。


ティッシュ半分ほどのスペースに何かを書き終えてからTさんは私にティッシュを渡してこう言いました。

「これをあなたにあげようと思って。はい、どうぞ。綺麗でしょ」

Tさんはニコニコ笑顔で私を見つめてティッシュを差し出していました。

私は「Tさんありがとうございます。何か熱心に書かれていましたね。私にですか。拝見しても良いのですか」

とその字を読んでみました。

「私はこの上で この火を耳げてみることにしている。
 中々このことを多きすてきたいと思っていたのだった
 美しく美しく敷いたものを大きくしていたいと思っていたのだが、このことを
 大きく考えていたことを出来るたく思っていたのだ。
 きっとこの中でうまなくいくものを考えていきたいと思っていたのです。
 いろいろとたのしくことに眩っていかないと思っています。」


正直、全く意味がわかりませんでした。


ティッシュを読む私の顔を横でじっとニコニコ見つめているTさん。


さて、『問:対人援助の専門職である介護福祉士はこの後Tさんに何と言うことが良い支援になるのでしょうか?』


私は反射的にこう言いました。

「Tさんが書いたこれを読ませていただいてありがとうございます。嬉しかったです。でも、私アホなので、書いてあることがちょっとわからないので、何という意味なのか教えていただいても良いですか」


するとTさんは少し笑が小さくなり「えっと、これは、あの、その、あれですね」と言い、沈黙のあと笑が消えて無表情になりました。


私は「Tさん、ごめんなさいね。変なこと聞いてしまって。Tさんは熱心にこれを書かれて私にくださったんですよね。」

T「そうです、あなたにあげたかったんです(笑)」

私「ありがとうございました。そのお気持ちだけで嬉しいです。どうもありがとうございました」



認知症状をお持ちの方のことを否定しない、相手の言葉やペースに合わせて、じっくり耳を傾ける。
少し低めの優しいトーンで言葉をかける。同時に相手への微笑みかけるような目線で柔らかい話しやすい雰囲気を作る。

よくテキストなどに書かれているこれらのことは守りながらTさんとやりとりしました。

とりあえず無難な終わり方。笑顔で会話終了。


そして、私の頭の中ではティッシュに書かれた言語の一字一句が何を意味しているのか、行間に込められているTさんの想いをあれこれ詮索していました。
そして、Tさんが書いていた席の目の前に置かれた花瓶の花と「美しく」という字を結びつけて、「この花のことを言っているのかな」と想像しています。
何より、なぜ突然字を書き始めたのか?何か伝えたいことが他にあるのか?表情は柔和だったから、なんらかのBPSDのサインではないよな?
これまでにこのような行動があったっけ?今日一日の状態はどうだったっけ?記録記録。。水分、は摂っている。排泄は、あ、さっき誘導したばっかりだ。
そもそも、字を書く力があるんだ。それならこのストレングスを何か他のことに結び付けられないかな。。。etc


専門バカは一生懸命、Tさんという認知症状をお持ちの方の理解、仮説、支援の具体策などを妄想していたのでした。しかも、ほぼ反射的に、自分の脳みその中にタスクがあるかのごとく。



なんだか、書いていて自分で自分がアホに思えてきました。

私がしていたのは、認知症状をお持ちの方の理解ではなく『把握』です。
自分の考えられる尺度、可能性にTさんを当てはめ、自己中心的なジャッジを勝手に妄想していたのです。



夜勤明けの電車である本を読んでいました。

そこには、著名な臨床心理学者の考えがありました。要約するとこんなことです。

現代は科学至上主義でなんでも分析し、わかった気になる。そして、分からないと不安になる。しっかり分析して科学的証明をすることで安心できる。
でも、それって分析できる部分でやっているだけで、実は人間は本当に不思議なくらい“わらからない”。
それが、講演とか人前で一般論を話せるようになると、聴衆の気持ちを動かせるんだから、目の前の人なんて簡単という錯覚を起こす。

自然科学的厳密性を見出すことは大事。でも、人間相手になると、どうしても説明できない部分があって、でもそこには個の必然性、生命現象、関係性っていう曖昧なものだけど確かにあるものが在る。


「その人を本当に動かしている根本の『魂』−これと僕は勝負している。」
「答えをすぐ求め過ぎる傾向って、現代の深刻な病のような気がしますね。言葉とか細部にひきずられる傾向というか」
(『河合隼雄・茂木健一郎 こころと脳の対話 新潮文庫』より)


介護は学問として確立していないと言われていますし、自然科学的に見ると非常に抽象的な観念論で現場が動いています。
エビデンスに基づいていることも少ないから、経験則、精神論、在籍歴序列、などで仕事が出来てしまうし社会的評価が低いわけです。

だから介護は今科学的な学問として確立する必要があると私は思っています。

しかし、この業界で私の価値観を形成した20代後半は『魂』に向き合うということであって、決して利用者さんを把握することではなかったはずです。
しかし、いつしか私は把握に大きく傾倒するようになりました。

というか、両方大事なんです。

「なにもわからない。〜なにもわからないけども、分析的に話を聞きたい方がおいでになったら、まあ、人をびっくりさせるぐらいの分析的な話はできる。やっていないだけで」(河合隼雄)


介護は専門バカになってはいけないし、かといって心と優しさの素人・職人技に甘んじていてもいけないわけです。
バランス。


ということで、私は最近バランスが崩れていたようです。

立場もある程度のスタッフをまとめるようになると、熱いハートだけでガンガン利用者さんに向き合っていくということだけではダメなんですよね。(本当はそこが一番楽しいのだけれど。。。)



ここまで振り返って、もしTさんの字を読んだ後にもう一度、今言葉を返すとしたら。。。なんと言うか???

「Tさんが嬉しそうにこれを僕にくれたので僕もなんだか嬉しくなりました」

かな。なんか、Tさんと一緒に笑っている画が想像できます。

こういう気づきって介護経験が少ない若い後輩が教えてくれたりします。年とったね。自分。
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Category 認知症

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