認知症介護実践リーダー研修 他施設実習初日の体験

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認知症介護実践リーダー研修 他施設実習初日の体験

2015年6月8日
認知症介護実践リーダー研修というものを受講させて頂いている。その中の他施設実習、1日目。

私はとあるのどかなグループホームへ実習にきた。
この日の実習は特別なルールがある。
『できる限り利用者や職員と関わらずに過ごす』というものである。
見知らぬ場所で流れもわからないまま、誰とも関わらず、関わってもらえない環境を体験するというなんとも贅沢な実習をさせて頂くものだ。


今日は、この非常に貴重な体験を通じて私が感じたことをできる限り書き残しておこうと思い、久しぶりにブログを更新する。


最初にスタッフの方に「では時間になったら実習に入って下さい」とだけ言われた。
私と同じ実習生もいたので、フロアで軽く声をかけあったら、スタッフの方に「話はしないでください」と、早速この実習の洗礼を言い渡された。
この言葉を起点として私の無言の実習がスタートした。



まず私はホーム内をウロウロした。ここの全体像を把握しようとした。利用者さんと目が合うことがあったが少し口角を上げるということを無意識に行った。それしかできないので、誰もの視線が緊張する。

最初に腰を下ろしたのはリビングの椅子。まだ食事をしている人もいる。やはり隅の席に座った。
落ち着かず3分もいられずまた探索に向かった。

やがて安息の場所を見つけた。二階の階段を上がったところにあるソファだ。二階は人気もなく、ようやく自分のプライベートな空間を見つけた。
腰を下ろしてふーっと深呼吸。静かだ。一階はスタッフさんの声と人が歩く音、扉の開閉音がするが二階は別空間だ。
リビング天井の吹き抜けを眺める窓を開けようとしたが鍵がかかっていて残念な気持ちになった。リビングを上から覗き込んでみたかったのに。
ソファに座ると三つのことが気になった。
一つは正面の居室の扉が半分開いていること。二つ目はその開いた扉の鍵が閉まるの状態になっていたこと。三つ目は「トイレ」と「お手洗い」という名札が二つついている扉があることだった。

まず、半開きの扉の鍵を元に戻したいという欲求が沸き起こってきた。でも勝手に触ったらマズイという躊躇いも沸き起こった。
そんなことを考えていると緊張が少し和らいだソファで私は眠気に襲われた。こういう環境下で利用者さんは傾眠をするのだと知る。以前自分が仕事で関わった男性利用者がいつも人がいない二階の隅にポツンといたことを思い出した。


ウトウトしていると実習生が同じように二階に彷徨ってきた。
私は自分のプライベートな空間を侵す侵入者として非常に緊張し、不快な感覚を覚えた。早く去ってほしいという忍耐の時間だった。チラチラ脇見をしてその人との距離を図る。実習生が下に降りていくまでの長い時間は、廊下の時計で5分足らずだった。
再び私に安息の時間が訪れた。

私は緊張が解けたのか、尿意を感じた。しかし、面倒だという思いと、まだ大丈夫という気持ちでソファにもたれかかった。
そしてやはり正面の半開きの扉が気になった。ソファから見えるベッド。私を誘惑が襲う。しかし、居室の扉横にある、部屋の主の顔写真が目に入り、入ってはいけないという心の声が聞こえた。

すると今度はその居室の主が階段をのそのそ上ってきた。
不思議なもので、彼女の存在は先程の実習生に感じた緊張感とは比べ物にならないくらいだった。本能的に自分より弱い立場の者と見たのだろうか。警戒レベルは実習生より格段に低かった。
彼女は居室に入り、しばらくしてまた階下に降りていった。

安息の時間と空間。時計の針の音と階下の生活音が心地よく、私はリラックスした。
ここで初めて、私は自分の職場の上司から与えられている仕事を思い出した。実習に集中する糸が緩んだ瞬間だろう。つまりリラックスしていたのだ。

眠気に身を任せつつも耳は音を聞いていた。
時間にしてとても長くリラックスしていたように感じた。40分ほどした頃に、スタッフさんが二階にあがってきて居室の掃除を始めたようだ。
不思議なもので、緊張感や警戒心を抱くことはなく、スタッフさんの存在は私にとってきっかけとなった。

そろそろ動こうかなと。

人はある程度安息の時間を持つと社会に出て行こうという気持ちになるのだなぁと思った。そして、それにはきっかけが必要なのだということも。しかしそのきっかけはその人のタイミングに合っていないとただ不快なものとなることもしった。

クリスティーン•ブライデンさんの本にあった言葉を思い出した。
彼女がリラックスできる心地よい場所にいると「どうしましたか?散歩にでも行きましょう」と声をかけられ渋々応じたという内容のことを。本当はこの場所に居たいのにそれを伝えることができず散歩に出たというエピソードだ。
もし今私がスタッフさんから散歩に誘われたら前向きに散歩に応じただろう。

下に降りると先程よりも警戒心が低くなっている自分に気づいた。
今度は庭に出てみた。気持ちよかった。空気と日差し、生活音とは違う社会の音。車の音。隣のテニスコートのボールが弾む音、掛け声。風。土の匂い。洗濯物が日差しを浴びて気持ち良い香りを発していた。
私はまた探検をした。敷地の四辺を柵に沿って歩くのだ。行き着いた先で鍵がかかっていて、ここまでがこの敷地のエリアなのだと感じた。逆回りした先でもまた鍵がかかった場所に行き着いた。つまり、自分が自由に動ける国境を把握したのだ。同時に道の向こうを歩く人や車が非常に遠い存在に感じた。
そしてふと自分が介護職である感覚が目を覚まし、こうして施設の敷地の国境付近を歩いている利用者を見たとき自分は何と声をかけるか思い出してみた。
「ここにいたんですね」「どうかしましたか」「何されてたんですか」最悪は「大丸1大丸1︎さん居たよ〜」という同僚への報告。
「自分に許されている国境を確かめていました」なんて言えない。


次の瞬間、ふと私はここにきてから初めて自ら誰かに関わってみよう、、、誰かに近づいてみようと思った。
そして庭から戻ったすぐ側の縁側にあたる場所のソファに腰掛けて網戸越しに外を眺めていた女性利用者さんを見つけ、彼女の前のソファに座った。目があったが向こうは緊張していた。10秒もしないうちに彼女は無言で立ち去った。
先程私が二階のソファで実習生に感じた警戒心を思い出し、目の前の女性利用者さんの安息の空間を侵したことを申し訳なく思った。
5分程して私はリビングの一角に座った。周りには数名の利用者さんとキッチンでは三人が調理をしていた。

最初に感じた緊張感は小さくなり、私はリビングに居ることができた。周りの利用者さんと目が合うが警戒心は感じなかった。
ぼーっとしていると一人の女性利用者さんがお茶を持ってきてくれた。ささっと笑顔で置いていってくれたお茶がとても嬉しく、私は彼女に好感を持った。関わってきてくれた、しかも善意の行為も伴った彼女は私にとって敵ではなく味方であった。

お茶は丁度良い温度で私は食道と胃が温まることを感じた。そして、喉がとても乾いていたことに気づいた。
お茶は私の警戒心をさらに低くし、私はリビングに溶け込むことができた。

さて、その後困ったことがおきた。
この湯呑みはどうすれば良いのか。返したほうが良いのか。しばらく動けずにいた。これは思いもしない重荷だった。そろそろまた探検したくなっていたのに。自分で判断ができない状況は、その場に溶け込んでいたはずの私を再び一人ぼっちにした。
すると右前で談笑していた女性利用者さんの一人が湯呑みをそのままにしてどこかへ行ってしまった。
私にとってその残された湯呑みは貴重なサンプルだった。自分だけではないという気持ちの後押しを受けて、私は湯呑みをそのままにしてリビングを立ち去った。台所にごちそうさまと届ければ良いのだが、入って良いのかな、調理の邪魔じゃないかな、という不安定な判断材料が私の行動を決めたのだった。

さてと、という気持ちで先程の縁側のソファに座った。人は一度安心した場所にまた戻るのだ。その証拠にソファの肘掛けには先程の私が残した体温が残っていた。完全にマーキングだなと感じた。自分の場所であることの再確認。
すると、やはり一番の安息地である、二階のソファに行きたい衝動に駆られた。
階段をのぼったその先に見えたのは、一人の男性利用者さんが私が座っていたのと同じ場所に同じ格好で傾眠していたのだ。
男同士だなぁと感じた。一瞬嫌な気持ちもあったが、男同士だなぁという感覚は良い方向に向いていた。男性は私の存在に気付き私たちは微笑と会釈を交わした。私は男性の隣に座った。
この日一番他者と接近した瞬間だったが、不思議と嫌な気持ちはしなかった。安息地であることも変わりなかった。
これをあえて言葉で表現するならば、共感だろうか。同じ、という感覚が警戒心を下げているのだろう。
私たちはそのまま10分程二人並んでウトウトした。すると男性は立ち上がり、目の前でアキレス腱を伸ばして手を合わせて拝み、下に降りていった。
彼にとって私は社会に出て行くきっかけになったのかもしれない。彼から安息地を奪われたような感覚は感じられなかった。

しばらくリラックスの時間を確保した私はまた社会に出て行った。あてもなく探索した。
すると、同じ実習生の靴がないことに気づいた。時計は12時を回っていた。
まさか、自分は休憩を知らされずに実習生は外へでも休憩しに行ったのではないか。悔しさと、無力感と諦めが少しずつ沸き起こった。誰かスタッフさんに確認しようにも出来ないルールだから私は結局諦めた。
そして玄関のベンチに座っていると実習生が車椅子の利用者さんとスタッフさんと戻ってきた。どうやら買い物へ出かけていたようだ。
それがわかると私の中の悔しさは無くなった。これが映画館とかディズニーランドだったら私は激しく怒るか、むくれるか、あるいは両方だったかもしれない。

引き続きベンチに座っていると見慣れた顔の人がやってきた。指導者さんだ。知っている顔と名前の人を前にして、彼女から「こんにちは」と声をかけられた私は高揚した。知っている、わかっているということはこういうことなのだと知った。
だから指導者さんの挨拶に返事をしたかったのだが、数時間声を出していない私の喉は反射的に「こんにちは」の音声を出すことはできなかった。
指導者さんが過ぎ去った後に私は「もっと何か話せば良かった」と後悔した。しかし、すぐに気にならなくなりしばらくそこに座って外を眺めていた。



この後、指導者さんに呼ばれ、事業所内見学や書類の説明をして下さったが、約3時間利用者のような目線で過ごしてきた為、なかなか脳みそが切り替わらず、言葉が頭に入ってこなかった。
昼食は利用者さんたちとご一緒したが、あまり関わってはいけないルールもあり、なんとも居心地が悪かった。
そして休憩に入ったのだった。



休憩の後の事業所内は午前中のそれと全く違う場所になっていた。
私が午前中にマーキングした居心地の良い場所は全て利用者さんたちが占拠していた。
シエスタに最適な場所は先住民である人の方が熟知していた。
仕方なく私はガランとした食堂の椅子に一人座ったが、吹き抜ける風は午前中の心地よい風ではなく、少し肌寒さを感じさせる風だった。
動きたくないという気持ちと、肌寒さが戦って、結局私はその場を立った。あてもなく彷徨い安息地を求めた。
結局選んだのは玄関外のベンチだった。道路側に背を向けた。肌寒い風はあるものの、午前中の日差しをたっぷり溜め込んだベンチが暖かかったのだ。
この日は半袖でも良い気温だったが、活動をほとんどせずに外のベンチに座った私には長袖のフード付き上着がちょうど良い気温だった。体感温度が介護職と利用者さんでは違うんだろうなぁと感じた。

しかし、そこはやはり安息地ではなかった。外のベンチは固いのだ。背中とお尻からジワジワ圧力を感じた。


その時私は背を向けていた道路から誰かの声を聞いた。振り向くと見知らぬ女性が立っている。私は動揺した。どうすればよいかわからず焦った。
指導者さんの来客だったのだが、私にとっては知らない人がわからないことを言っているに変わりない。
一瞬だけ私は実習生の脳みそに戻った。切り替えは非常に労力を使った。

来客が中に入ると、私は今度は背後を取られないような場所を選んでベンチに腰掛けた。しかし、ここは安息地ではない。
長居せずに立ち上がるとふと目に飛び込んできたのはアリだった。
ただのアリだが何か餌のような白いものを加えて歩いていた。私はそのアリを見て立っていた。
立ってアリを見ていると不思議なもので、座っていた時はちょうど良かった気温がジリジリ暑くなってきたのだ。立っていると座っている時より体感温度が高くなるようだ。
私は中に入った。

やはり、シエスタ中の利用者さんたちは私に安息地を譲ってはくれない。
私は一抹の不安を抱えながらも、あの二階のソファに希望を託して向かった。しかし、不安は的中。あの男性利用者さんが先程と同じように傾眠していたのだった。
「そうだよね」という言葉が私の中に自然に出てきた。
しかし、男性はふと立ち上がり、先程のようにアキレス腱を伸ばして手を合わせて拝み、居室に入っていった。

私は彼に感謝して自分の安息地に腰を下ろした。
ここは気温や空気の流れも一定なようだ。やはり安息地だった。

この後、利用者さんや洗濯を抱えたスタッフさんやリハビリの先生らしき方が何往復もしていたが、もはや私は気にならなかった。
おそらく、自分がこのホーム内で確保できる安息地の限界を悟ったのだと思う。これ以上は警戒心を抱いても、拒絶感を出したとしても無駄なのだと。だからこそ、このソファに座っていられるだけでもありがたいということだ。


ぼーっと30分程座っていると、一人のスタッフさんが私に「おやつだから下にどうぞ」と声をかけた。私は反射的にその言葉に従い階段を降りたが「あまりおやつ食べたくないなあ」と思った。というか「初めて声をかけられた」と思った。
リビングでは半分の方がおやつを食べ終えていた。私は遅れたんだなぁと思った。いや、声をかけられるのが遅かったのだから忘れられていたのだなぁと思った。
スタッフさんが「空いてる席にどうぞ」と言ったが、空いている席は一つしかなかった。
相席の利用者さんは男性と比較的若そうな中年女性と弱々しそうにして、食べこぼしが多い女性だった。第一印象はあまりよくなかった。(自分が利用者ならそれが正直だろう)
隣のお話ししている女性たちの席が華やかに見えた。
あまり好きではないモサモサしたカステラ系のおやつが出てきた。私はアンやクリームがついたお菓子が好きだ。しかし、食べてみると意外にしっとりしていて美味しかった。

そして次の困りごとが出てきた。

いつまでここに座ってなきゃいけないんだろう。

私のテーブルのメンバーはまだみんなモグモグと食べている。辺りを見回すと他のテーブルの人たちはいそいそと食器を片付けはじめていた。

ふとキッチンを見ると指導者さんがスタッフさんと話をしていた。知っている人を見た私は無意識に彼女を目で追った。そして、目で追っている自分に気づいた。「あ、利用者さんから普段頂いている視線はコレか」と。

自分のテーブルの五人組のような縛りの心理から私は抜け出し、食器をキッチンへ持っていくことに成功した。

おやつ後の私は午前中とは比較にならないほど踏み込んでホーム内を探索していた。
カレンダーをめくったり、タツノオトシゴの綺麗な置物をいじってみたり、引き出しを開けてみたり、利用者さんの部屋の入り口に飾ってあるぬいぐるみを触ってみたり、利用者さんの密度が高いリビングの合間をすり抜けて、窓から外を眺めたり。

椅子に置いてあった新聞を拾って読んでいたら、ヨロヨロと杖をついた女性が私の隣の椅子を目指してようやく歩いていた。
心配になったものの、私は新聞を読もうとしていた。しかしやはり気になる。
その女性が私の隣にドスンと座るホッとした。

椅子から見える景色には例の男性がアキレス腱を伸ばして手を合わせて微笑んでいた。

今日見た光景が私の中の記憶と合致した。それは知っているという安心感だった。

そしてふと気づいたのだ。

あ、自分はここに少し慣れたんだなと。

午前中の警戒心であふれていた自分は半日でここのことが少しわかって、慣れたのだ。


一通り一階を回った後に私は二階の安息地へ向かった。すると、実習生が座っていた。
一瞬だけ引き返そうかと思ったが、諦めて階段をのぼった。
居室の扉の一つが開いていて風が通って肌寒かった。

私はその他人の居室に無意識、無抵抗に入り、窓を閉めた。そして、そこから見えた隣の敷地のテニスコートの人が打つボールをじっと眺めていた。

ちょっと疲れたな。


そう思ったところで、指導者さんに振り返りをするという声をかけられた。

私の特別な体験の1日はこうして終わった。



とりあえずまとめずにツラツラと体験したことと感じたことを書いてみた。
新規の利用者さんが知らない場所、知らない人の中に放り込まれた時の心情、そしてその心理の変化を体験することができたとても贅沢な時間であった。
自分が今度は介護職の立場として、またリーダーとしてこの体験をどう介護に転換していけるか、それを考えるのは楽しみなものである。


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Category 認知症

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