介護って絶対聖職ですよね

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介護って絶対聖職ですよね

2015年11月4日

『馴染みの関係』という言葉がよく用いられる介護業界ですが、もし、その馴染みの関係者から、突然関係を切ると言われたらどんな気持ちになるでしょうか。

おそらく「なぜ!?」という気持ちが大部分を占めるのではないでしょうか。
さらにその「なぜ!?」が解消されず、訳も聞かされないままに突然関係が切られてしまう。

どんな気持ちになるでしょうか。

ショック、という一言では片付けられない程の気持ちになるでしょう。

「訳がわからない」

おっしゃる通り、訳がわからないのです。

自分の気持ちの整理、納得、腑に落ちる、割り切る、が出来ない。それすらさせてもらいない。


「なんで!?私が何か悪いことしましたか?もしそうなら言って欲しい。教えてください。なんでこんなことになっちゃったんでしょう」


そして、ある時突然やってくるのが、私たち福祉や介護に携わる人なんですね。

「お力になりたいんです」
「心配してます」
「◯◯さんから聞きました」
「困ってませんか」
「お手伝いしますよ」
「あなたのために。。。」


そりゃぁ口から出てくる言葉は

「私は大丈夫です」

に決まってますよね。


医療にかかろうとする人は、少なからず体調の異変や違和感という自覚があることが多いはずです。
言ってみれば主体性があります。

しかし、福祉や介護は“その自覚”がない方が多いわけです。余計なお世話から始まる仕事、押し付けと失礼から入る仕事。
いつしか私は自分の仕事にそのような自覚を持つようになりました。

ましてや契約制度になってからはここは非常に重要です。だって「わかりました、ではお願いします」という本人の同意のもとの署名と押印が求められるわけですから。
本来家族や、当然私たちが代行するものではないのです。


しかし、いつの間にか知らないうちに、契約と支援が始まる。

ショックによる訳がわからない事態がさらに全く訳がわからなくなる。

本当になんという傲慢な仕事なのだろうと思います。



認知症があるそのAさんが発した上記の言葉は、また再び私にこうした気づきを呼び起こしてくださいました。

Aさんが馴染みの関係者から絶縁状を突きつけられ、馴染みのケアマネが変わり、知らない人が家にやってくる。
人的リロケーションダメージの真っ最中。

「私は今度からそこに行くことになったんだよね」
「道を覚えたいから一緒に連れて行って」
「もうあそこにはいけないんだよね」


新たな環境と訳がわからない現状に懸命に適応しようと生きていらっしゃる。
全く訳がわからない中でさえ、他者に気遣いを行い、礼節と自分の誇りを守ろうとしていらっしゃる。


自分の仕事を通じて出会わせて頂くたくさんの利用者さんから、私は本当に多くを学ばせて頂いていると思います。



ふと私は一つの欲にかられます。
それは最初の「なぜ!?」から始まる数々の「なぜ!?」の理由をお伝えしたい!という欲です。

つまり「私は一体どうなってしまったの!?」という問い「あなたはなぜ介護を受ける必要があるのか」ということの理由を伝えたいということです。


「あなたは認知症だから」


人の生活を応援したいという自分の傲慢さが、さらに傲慢な欲を生み出します。

きっと最初の「なぜ!?」が解消するはずだという経験則から。


私は介護の仕事は傲慢だ、ということを言いたいのではありません。傲慢極まりないことを意図して行わなければならない仕事だということを言いたいのです。
全く、医師と教師と弁護士が聖職というなら、介護職もいれてもらいたい。
聖職とは、聖なる尊い素晴らしい職などではなく、人の人生と人権をどうにでもできる力を持つ職なのです。
だから“聖”に値する倫理を持たなくてはならない。


ならないものだけど、Aさんの全身から発する全てのことを目の前にすると、Aさんの尊厳に対して畏敬の念を抱かずにはいられません。素直に心から謙虚になれる。


認知症の人に「あなたは認知症ですよ」と“どう言うか?”ではなく、“いつ言うか”が大事だと思います。
では、いつか?

それがご本人が求めた時なのでしょうね。
本人の言葉、ニーズに基づいて。



夜勤明けのブログって良いですね。

クタクタに疲れた身体が一番負担のない動作をするように、言葉を選ばずに勝手に浮かぶ言葉を書けるから。

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Category コラム

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この記事へのコメント
久々に読ませて頂きました。
ごもっとも!と思いました、と同時に日々の慣れがそうさせているのか、その傲慢さに気づくこともなく、仕事をしている状況にある自分を振り返るきっかけを頂きました。

先日、入居された方も、帰宅願望が強く、帰るので電話を貸して欲しいなど言われます。自分は病気でないのでここにいる必要はないのです、と。
あなたは、認知症なのですよ、とは言いません。
傷つけず、納得して頂ける言い方を言葉を選びながらお伝えしているつもりです。
kinsanのおっしゃる通り、ご本人には自身のことを知る権利がありますし、お伝えしないといけないのかもしれませんが、その場その場をやり過ごしてしまっている自分がいます。

誰が伝えるのか、というのも大切な要素かもしれませんね...

いずれにしても、その方その方の人生を左右しかねない職種であることを、自覚しなければならないと、改めて認識させられました。

またコメントします!


Posted by こぶたぽんきち at 2015年11月04日 21:03
まだまだ未熟な介護士ですが日々悩み、考えながら仕事をしています。いろんな方が
いらして、今は嫌々ながら、無理やり施設に来させられて、訳が分からず
絶望感で一杯でという感じな方が多くて、ただそばに居て受けとめるしか
出来ないけれど、誰もがプライドを傷つけられたらそうなるだろう、自分も
他人事ではないと思って仕事をしています!

Posted by みくたろう at 2015年11月12日 13:57
こぶたぽんきちさんコメントありがとうございます。

極端な話、人が元気になることも、人生に丸をつけられることも応援できる職種ですが、簡単に、殺すことも、人格を壊すことだってできる恐ろしい力と立場の職業だと思います。
専門職には高い倫理性が求められるし、それを自覚していないととんでもないことになってしまいますね。

つねに反省し続けたいですね。
Posted by kinsan at 2015年12月02日 12:32
みくたろうさんコメントありがとうございます。

絶望感でいっぱいのその方に、懸命に向き合って、絶望を解決することはできないけれど、絶望しているその方と一緒に苦しむこと、共苦はできると考えております。

何かできることをさがすだけでなく、共にあることも大きな私たちの役割だと思います。その先にきっとご本人の生きる力を、生命の畏敬の念を感じる時が来ると思います。
Posted by kinsan at 2015年12月02日 12:34
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