医療・福祉職の階層社会

医療・福祉職の階層社会のページを説明

新着記事一覧 〜最新の記事はコチラです〜

医療・福祉職の階層社会

2016年2月9日

これまでの介護人生とは異なり、最近はこれまでとは異なる実習生と出会うようになりました。
これまでは、介護福祉士やヘルパー2級(現介護初任者研修)、社会福祉士といった、介護を中心とした福祉職の実習生が中心でした。

しかし、最近では地域包括ケアシステムや多職種連携の流れのためか、在宅介護分野に看護学生や医学生が実習生としていらっしゃるようになりました。

これまでこうした医療職の実習生とトータル20名程の方々とお会いしてきましたが、ふとある傾向があるような印象を持ちました。

それは、看護学生や医学生は身近な人が医療職であるということです。

医学生の女性は「実家が病院をやっているので」という方もいました。ご両親のどちらか、または一家が医者家族であるという傾向の学生が一度の実習で1人以上はいるのです。
看護学生の半数はお母様が看護師さんでした。中にはお父様が看護師という方もいました。
また、看護学生さんの数割は自分や家族がなんらかの病気で看護師に接する機会があったと言います。

あくまでも私の感覚の話であり、統計的にこうした傾向が確かであるかはここではわかりません。

しかし、この傾向は確かなのではないか、とも思うのです。

それは介護、福祉関係の実習生の数割は「母がケアマネジャーをやっています」もしくは「親が福祉関係者です」という学生が増えてきていると感じるのです。「親が看護師です」という介護の専門学生には私はまだお会いしたことがありません。(きっと世の中にはいるでしょうけど)

介護保険制度が始まって15年程。ケアマネジャーが親となりその子供世代が専門学校生になってもおかしくない時間が経っています。


もしかして、これは格差社会ではなくて、すでに、医療福祉関係職種における世代間における固定された階層社会が進んでいるのではないかと感じました。
介護職から看護師を目指す人がいても、医師が介護福祉士を目指す人はそういないはずです。

親の経済力、職業、学歴が子供の学歴や職業、生涯年収に大きな影響をを与えているという話は最近ではポピュラーなデータとして紹介さるようになっていると思います。

ですから実習生の家庭環境と職種にもなんらかの関連があるでしょう。
※子供が親の職業を選ぶこと自体を否定する記事ではありませんので、あしからず。


ここで二つのことを私は思います。

ネガティヴにとらえれば、この職種感における固定された世代間の階層社会はどんどん固定化するであろうことです。
医者の子が医者になり、福祉職の子が福祉職になる。これは職業の貴賎の視点からはなんら悪いことではありませんが、社会的影響力や経済・社会的格差の視点から言えば日本は平等な国ではなくなっていくでしょう。努力すれば報われるという社会構造ではないのですから。

ポジティブに捉えれば、今後医療職よりも確実に介護・福祉職の数が増えてきます。ということはこの流れでいけば介護・福祉職は増えてくるということになります。

しかし、一つ難点が。

親の職種に様々な面から子供が魅力を感じるとしたら、介護・福祉職をしている我々がどれだけ子供世代にその楽しさと魅力だけでなく、経済力や社会的な価値を伝えられているかが課題になります。
「親の職業にだけはなりたくない」その代表格が介護・福祉職にだけはなりたくないですが、介護・福祉職をとりまく社会環境は必ずしもそれを止める方向にはなっていないでしょう。


そして何より、親世代が子供に「介護福祉士よりも看護師の方がいいよ」という感覚を持他ざるを得ない環境であるかぎり、ポジティブな流れは現実にはならず、階級社会の固定化が進むでしょう。


子供には幸せになってほしい。
しかし、その幸せの条件に、心情と社会の現実、構造にすでに差があるのかもしれません。

介護・福祉職の方は子供が自分と同じ職種になることを望みますか。
(介護・福祉職にかぎらず、子供がやりたいことをやらせてあげたい、という模範解答はここではいりません)
少しでも多くの方にこの記事を見ていただけるようにランキングへのご投票よろしくお願いします!あなたの一日ワンクリックの応援、感謝いたします(>o<)
にほんブログ村 介護ブログへ
banner2.gif


Category コラム

介護の専門性新提案の医療・福祉職の階層社会のリンクについて

介護の専門性新提案の医療・福祉職の階層社会のリンクについて
リンクを自由に設置して頂いて結構です。
宜しければ以下のタグをご使用下さい。
この記事へのコメント
少し言葉の意味として食い違う点があったのでコメントさせて頂きます。
平等という言葉は日本において職業による格差を指して使う言葉ではないと思います。なぜならば、日本国憲法が自由という言葉を明記している以上、絶対的に責任が伴うからです。日本国憲法はアメリカ人が作ったもので我々日本人はその恩恵を受けてきました。自由の国という言葉の意味には、能力に応じて人種や身分に関わらず自由に仕事が選べるという意味があります。つまり能力に応じて何の職業につくのか、そしてどんな背景があったとしても最終的に決断するのは自己責任であり、当然自分の能力は自分の責任です。そういった意味で社会問題として提起するのは甘えの様に感じてしまいます。
Posted by 名も無きケアワーカー at 2016年08月20日 23:05
名も無きケアワーカーさんコメントありがとうございます。

平等、という言葉について、厳密な定義付けもなく使用していたと思います。
おっしゃるように、日本は職業選択の自由がありますから、そこには自己責任が当然ついてきますね。同意です。

ただ、この記事内容は医療職と福祉職、介護職を階層化することは個人的に気が進みませんが、ある種、貧困連鎖と同じ社会問題が秘められているように感じることもあります。
例えばおそらく、低所得者層出身の若者が医師を目指すことは難しいでしょうね。
自己責任はそのとおり、しかし私個人としてはネオコン的印象を受けるのであまり同意はできません。
本当の自由に基づく職業選択なのか?見に見えない神の力が作用していないかな?と思ったりします。
Posted by kinsan at 2016年08月21日 11:50
返信ありがとうございます。
神の力ですか(笑)この職種に神の力が作用している事は否定しませんよ。そもそも日本国憲法にはキリスト教の教えが散りばめられていますし。社会保障審議会が提唱する社会的自立も自由と責任の概念を引用した物に過ぎないですからね。語弊を恐れずに言えば社会的側面として介護の専門性の根本はキリスト教の教えにあると、僕は思っています。ちなみにキンさんはスティーブン・R・コヴィーの7つの習慣という本はご存知ですか❔
ちなみに僕はキリシタンではありません(笑)
Posted by 名も無き介護士 at 2016年08月22日 06:36
名も無き介護士さん、ご返信ありがとうございます。
前後日本の福祉にはGHQの干渉がありましたから、ご意見のとおり一側面ではあると思います。
ただ、介護の専門性の根本がキリスト教というのはいまいち理解が及びません。そもそも、私がそこまでキリスト教を理解しているわけではないので断定はできませんが。
参考元を忘れてしまい申し訳ありませんが、こんな話を目にしたことがあります。ネアンデルタール人だか原人だかの頭蓋骨、歯がない状態にもかかわらず、ある程度の年齢まで生きたようだと。おおよそ、これは誰か他の人が咀嚼を助けるような食事の介護が存在したことの証拠になるのではないか?と。
つまり、人間が他者を介護することはキリスト教以前からあったことではないかなと。もっと言ってしまえば、爪も牙も持たない人間は進化の過程で集団社会を形成することで自らを守り種の保存を継承してきたと。いうことであれば、そもそも介護の根本的なことはキリスト教に依拠しているとは必ずしも言えないのでは?と思いました。

7つの習慣は10年以上前に一度読んだことがあります。
Posted by kinsan at 2016年08月22日 07:51
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。