なぜ介護福祉を続けるのか?

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なぜ介護福祉を続けるのか?

2016年10月21日
介護の仕事に従事する私に対して、有名な外資系企業に勤めた地元の友人から「おまえの仕事は本当にすごい。頭が下がる。でも、何の生産性もない年寄りや障害者におれらが汗水たらして稼いだ金をつぎ込むことは、理解はできるけど納得は出来ない。介護とか福祉が大事なのはわかっている。けど納得できない。もし自分が介護が必要になったら死んだ方がいい」と言われたことは今でも私の財産。
彼の言葉は特別冷たいものではなく、大なり小なり多くの方が口に出さずとも思っていることのはず。だからこそ

「なぜ自分は介護福祉を続けるのか?」

これを時々振り返っては自問自答しないと私は前に進めない。

「人に感謝される」とか「人の役に立ちたい」とか「人が好きだから」という(動機はそれで全然構わないし、それは素敵なので否定はしない。ただ“続ける”理由となると難しい)綺麗で、清廉潔白、純粋無垢な答えではすぐ壁にぶち当たる。
それならば、「高齢社会という成長産業でビジネスチャンスをものにしたい!」と言った方が持久力があるように聞こえる。
「人が好きで、感謝されて、役に立てる」仕事は他にもいっぱいある。だからこれらの理由はきっかけとしてはオールオッケーだが、本気で続ける理由としては弱い。

「なぜあなたは介護福祉を続けるのか?」

以前ネットのYahoo知恵袋だったか、どこかで「弱肉強食という自然の摂理に反して、なぜ弱者を税金で生かすのか?」というような問いに対して「人間が進化の過程と環境変化の中で生き残るために社会を形成するという手段を習得し、選択したため」という『種の保存』という視点から切り返しているサイトを見たことがある。
一見正当なようで強い違和感を覚えた。それは冒頭の地元の友人の言葉があったから。

ミクロでは正しいことが、集まっていくとマクロでは実は間違うということがある。
例えば、個人が節約をすることは一見悪い事ではない。しかし、国民皆が節約をした先には経済の停滞と不況が待っている。ミクロとマクロの正しさは比例ばかりではない。
つまり、「種の保存」という一見マクロでは正しそうに聞こえることでも、冒頭の地元の友人のような答えを持つ人は大勢いるし、出生前診断をする人だっている。
だから、私は「種の保存」のために介護福祉をやっているわけではない。

「なぜ私は介護福祉を続けるのか?」

多くの尊敬する実践者の方々にお会いしてきた。本当の実践者。
彼らは大きく4つに大別できる。
@自分もしくは近い人がマイノリティであるか、差別もしくは、不当な扱いを受けたり、人権を侵害された経験がある。それを原動力として実践を続けている人。つまり、当事者自身の闘争。
A福祉の源流は元をたどると宗教活動に行きつくことが多く、博愛、隣人愛、修行、として教理経典を実践している人。つまり、愛と道の実践。
@Aの実践者は、その実践の原動力がとても深く強い。信念があり、ブレが少なく一貫している。心からの尊敬を持つ。しかし、今のところ私は@Aではない。だから、彼らよりも私の実践はエンジンの持久力がひくい。

B私はこれだと思うが、自らのアイデンティティの構築や自己実現の達成のために、この介護福祉という領域でのやりがいをみつけた人。特に、マイノリティとして差別を受けたり、義憤にかられる経験もなく、また愛と道を説かれ、自身の生き方のシンボルとしてそれを宿したわけでもない人。現代の産業化された介護福祉ではここの人が良し悪しは別として、多いのではないかと思う。教育されて介護福祉を実践し、専門職になることを道づけられた我々。つまり、自己正義・自己実現の実践。
Bであろう私は厄介者である。一見、社会的弱者の代弁者として存在し、愛と道を現代にあらわした人権思想と社会正義に立脚して実践しているのだが、真実のところでは少し目的が違う。おそらく無意識で。なぜなら自分の正義の実践の為には“弱者の存在”が必要不可欠なのだ。ヒーロー物語には、助けるべき弱者と悪の化身が必要なのである。弱者が居るからこそ私の存在が引き立つ。
もちろん、Bでもなんら問題はないと思うし、専門職として良い介護実践をしている人は多いだろうし、そうしたたくさんの人々によって今の日本の介護福祉は支えられている。


20代ならばBでも良いのかもしれない。悲観して見過ぎるほどBは悪くはない。

しかし、今の私はこれではいけないし、真の介護福祉職ではないと思う。言うなればBは消極的学習者。
本当の実践をするに当たって、@Aであることは特急のチケットかもしれないが、Bからジャンプ出来たって良いはずだし、そうした人もいらっしゃるはず。

だから「なぜ介護福祉を続けるのか?」という問いの答えは@A以外であるならばCであることが・・・ん〜、正しいのだと思う。

C「おかしい!」という「怒り」を現場と社会に感じる人である。そして、その怒りは必ず当事者の生活や人生の中になければならない。一見自己正義のそれと似ているようにも見えるが、両社は異なる。これはつまり、義憤と社会変革の実践。

「福祉の実現は、その根底に、福祉の思想を持っている。実現の過程でその思想は常に吟味される。どうしてこのような考え方ではいけないのかという点を反省させる。福祉の思想は行動的な実践のなかで、常に吟味され、育つのである。」『この子らを世の光に』(NHK出版)京極高宣著―糸賀一雄の思想と生涯

糸賀一雄はクリスチャンであったそうだから、きっかけはAだったのかもしれない。しかし、実践の中で、その思想はキリストの教理経典から、福祉の思想として深められていった。まさに、実践者である。

私は、今利用者の生活や人生や取り巻く環境に義憤を感じているだろうか。義憤を感じるほど、当事者たちの声や生活や人生に耳を傾けているだろうか。この世の中をおかしいと感じているだろうか。

「おまえはなぜ介護福祉を続けるのか?」

この問いの答えをちゃんと現場からみつけることが出来たら、自分は一端の介護福祉職になれると思う。
これからの自分はそれを目指したい。そのステージにすでに来ているのだから。

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Category コラム

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