GHと小多機の違い 家庭的、生活、地域 同じ地域密着型サービスなれど

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GHと小多機の違い 家庭的、生活、地域 同じ地域密着型サービスなれど

2016年11月4日今日は某研修の一環で実習生として認知症対応型共同生活介護(グループホーム:以下GH)で一日過ごさせて頂いた。介護実習ではない為、基本的には利用者さんから離れてじっと、利用者さんやスタッフや出入りするご家族や地域の人を観察するというなんとも不思議な体験。以前、認知症介護リーダー研修の時も、何もせずに一日過ごすという体験実習を行ったことを書いた。http://kintokaigo.seesaa.net/article/420343213.htmlその時とは異なり、利用者さんの体験ではなく、あくまでもGHで行われている様々な出来事を観察する見学者だ。GHで利用者さんやスタッフの動きを観察し始めたのが10時頃。そして、12時頃まで特に何も行われなかった。テレビを見たり、おしゃべりをしたり、お茶を飲んだり、散歩に行く人、通院から帰ってくる人、花札をする人など様々だ。12時過ぎに、ようやく昼食をどうするかという会話が生まれ、一人はそうめんと赤飯を希望し、残りの方はかつ丼を希望された。スタッフの方が2名の利用者さんを伴って買い出しへ。オリジン弁当やスーパーで買い物。ゆっくりのんびり歩きながら、休憩しながら買い物。GHに戻ると40分が経過。12時45分からようやく昼食の準備が始まった。スタッフ、利用者さんが入り乱れて色々と調理活動に携わっていた。一緒に買い出しに出かけたお1人はすでに赤飯のおにぎりを食べ終わっていたのでぼーっと眺めていた。そして、昼食が始まったのは13時30分過ぎからだった。食べ終わった方から各々皿を洗い、ソファでうたた寝する人、ワイドショーを見る人、居室へ戻っていく人様々だ。この何とも言えない、だらだらした様子。ちなみに、昼食はいつも時間がバラバラであり、前後1時間ずつの幅で食べているとのこと。ルールは必ず外へ買い出しに行くことだけ。ふと私は気づいた。運営基準などに表記されている「家庭的な環境」とはまさにこれではないか?と。そしてこれこそが“生活”なのではないか?と。ちょうど私はこの実習の前日が休日だった。それを振り返ってみた。朝娘が起きて、おむつを替えて、朝ごはんの支度をして、食べさせて、録画しておいたアニメを娘に見せて、そしてお茶をこぼした服と一緒に自分の服も洗濯して、干して、その間に、娘と一緒にアニメを見て、洗濯物をたたんで、着替えて、娘のおむつを替えて、娘がCMでやっていた最新の映画が見たいと言ったので、二人で自転車でTSUTAYAへ行ってDVDを借りて、途中で娘が公園で遊びたい、と言うので原っぱ公園へ行って、ボールを投げたり追いかけっこをして遊び、30分くらい遊んだらお腹空いたというので、マルエツへ行って、たらこと牛乳を買って、パン屋さんで菓子パンを買って、帰ってからDVDをつけながら、今度はオムライスが食べたいというのでオムライスを作り、たらこスパゲッティを作り、一緒にDVDを見てたら、飽きたというので、ゴロゴロするゲームをして遊び、そして今度はWiiで遊びたいと娘が言うので、Wiiをしてたっぷりゲームをしたら夕方になったので、夕飯の支度をしたけれど、菓子パンがお腹にたまっていたので、あまりお腹が空いておらず、夕飯は食べずに、DVDを返しに行って、帰宅して風呂を掃除して娘と一緒に入って、歯磨きして、紙を乾かして、寝た。。。私の生活はだらだらしていた。言葉を変えると、その時々の事象(娘のニーズと家事)に応じて選択を重ねて、それでも自分のペースを保ちつつ過ごしていたのだ。つまり、生活とは「タイムスケジュール(時間管理)からの解放」と「自由な選択」の積み重ねであるということが分かった。また、この“生活”が展開されている場こそ“家庭的な環境”なのではないかと感じたのだ。家庭的というのを、関係性が家族のような、とか、温かいぬくもりを感じる、などという抽象的な表現は不適切ケアを生み出す温床になるのでやめた方がいい。所詮、それは疑似的なものである。関係性という抽象的なことで家庭を表現するならば、タイムスケジュールをやめて、すべて利用者に選択してもらう事業所の方がよっぽど家庭的となるはずだ。ひるがえるに、自事業所の小規模多機能型居宅介護は、家庭的な環境のもと、自立した日常“生活”の支援が出来ているだろうか?と考えないわけにはいかない。とくにひっかかるのが家庭的な環境である。GHはまさしく生活の場である。しかし、小多機の利用者には『帰れる自宅』が存在し、まさに家庭を持っているのだ。家庭である自宅を持つ人が、“通い”で“家庭的”な環境にいる必要があるのだろうか?いや、そもそも“通い”の小多機は疑似的にも家庭的になるべきなのか???私は日頃“通って”来て下さる利用者さんに何を提供しようとしていたのだろうか。小規模多機能型“居宅”介護であるならば本人の自宅で本人が“生活”できるようにすることこそ第一義である。それを疑似的な家庭的空間で縛る必要はない。いや、そもそも“通い”という事業所拠点のみに、家庭的な環境や自立した日常生活を当てはめようとしているから複雑になるのかもしれない。GHの利用者さんはそこにまさに生活している。そこがその方にとっては現在は“家”である。だからこそ、そこは家庭であるべきだし、タイムスケジュールからの解放と自由な選択が生活を作っている。しかし、小多機は違う。家がある人が対象だ。僕らはもっと自宅生活をみなければいけない。通い、訪問が決まっていない時こそ家にお邪魔すべきだ。そうしないと家の生活がわからない。とりあえず、自宅という家庭の中で生活をする、ことを応援する。これが第一義。しかし、では小多機の“通い”空間とは何か?拠点ではあるが、本人の生活する場ではない。通所介護は『日常の中の非日常』というのが私の定型句だが、通所介護と“通い”の空間は何が違うのか?機能の問題ではなく、空間である。違いはあるのか・・・だから地域なのか。そう。GHにとっての地域はGHの事業所がある地域とのつながりである。小多機は違う。事業所がある地域もそうだが、利用者本人が在住する自宅周囲の地域がある。つまり、登録者数の数だけ地域(当事者の地域)がある。小多機の役割は、“この当事者の地域で”生活することにある。事業所はあくまでも、住み慣れた地域で、その有する能力に応じて自立した日常生活を応援するための拠点だ。利用者の生活の拠点ではない。なんだか一つ光明が見えた気がした。そんな実習。家庭的、生活、地域色々と小さなところから挑戦してみよう。
追記:読者の方のコメントなどを頂戴し、家庭的、の中には「他者の存在の前提」があることに気づきました。家庭とは一人暮らしの方で形容することはあまりありません。つまり、複数人、二人以上の存在が必要です。
すなわち、家庭的であるためには、タイムスケジュールからの解放と自由な選択たけでは十分条件ではないということです。
では、誰かと一緒に同じ空間にいれば家庭的といえるか?
否です。
他者との関係性が必要であり、それは悪いものではなく、良好であることが想定されます。
「存在を認め合える他者の存在」と考えます。平たく言うと「承認される居場所」でしょうか。
もう少し深めていく必要がありそうです。

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Category コラム

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