人にされて嫌なことは本当にしてはいけないのか?

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人にされて嫌なことは本当にしてはいけないのか?

2017年4月27日

世界中で認知症当事者として活動されているクリスティーン・ブライデンさんが日本にいらっしゃっているという話題を見て、数年前に本で読んだ懐かしいエピソードを思い出しました。
確か彼女の著書のどちらかに書いてあったかと思うのですが。失念したので引用は書けませんが、たしかこんな内容でした。

クリスティーンさんは、陽のあたるテラスかどこかで、とても気持ちよさそうに過ごされていたそうです。
優しい日差しに包まれて幸せな気持ちでウトウトしていたところへ、優しそうな人が微笑みながら声をかけてきてくれたそうです。
そして、クリスティーンさんは、その人の言われるがままお散歩へ連れて行かれたそうです。
その幸せな気持ちでいられる空間と時間に居たいという想いは、うまく言えなかった。
優しそうなその人には申し訳ないのだけれど、とても残念な気持ちになったと・・・


これを読んだ時の私はデイサービスに勤めていました。まだ介護経験も浅かったのですが、ハッとしたことを覚えています。

私は何か利用者さんに働きかけるとき、相手のその時の状況やお気持ちを想像したり、推察したり、慮っていただろうか?クリスティーンさんが残念な気持ちになったようなことを利用者さんにしていないだろうか?と振り返ったのです。
当然、相手のお気持ちや状況を想像したりしていたつもりですが、その想像の価値判断基準が自分基軸であることに気づいたのです。

なぜなら、当時の私を育ててくださった多くの諸先輩方や上司が『自分がされて嫌なことは利用者さんにしてはいけない』『自分がされて嬉しいことなら相手も嬉しいものでしょ』『当たり前のことでしょ』と自分基軸で利用者さんのことを考えることをやんわりすり込んで教えてくださったからです。

例えば、レクリエーション活動に参加していない方を見たら『他の方の輪にはいれずにさみしいのではないか?』とか
天気が良いし、桜も咲いているからお花見のお誘いをしたほうが喜んでくださるに違いないとか。
戦時中を乗り越えてきた世代の方々だからモノを大事にするのだろうな、とか。


つまり私たち介護職は、一般的には『自分がされて嫌なことはしない』とか『自分がされて嬉しいことを相手にもする』というような一見正しい価値基準で援助をしていないか?ということに疑問を持たなければならないと私は考えます。

本来的には、利用者である本人の価値基準や状況、想いを、多様な情報(生育歴、職業歴、既往・現病歴、今置かれている環境その他)や知見(人間心理、生理、薬の知識etc)から推察(アセスメント)して、より適切だと判断できる打率の高い働きかけをしなければいけないはずです。
さらにもう一歩踏み込むと、そうした専門職としてのアセスメントの前に自分自身の固定化された価値観や判断基準自体を俯瞰してみる『自己覚知』が必要なのです。

自己覚知は乱暴に行ってしまうと自分の価値観等がどのように形成されたかを振り返る自己分析であり、その分析した自分の価値観に気づき、それを脇に置いて相手の価値観等をフラットに受容するためのソーシャルワークの援助技法の一つです。


自己覚知の例です。
知人のAケアマネは利用者さんの家族が介護に非協力的なことに憤っていました。Aケアマネは平凡な家庭で幸せに育ってきました。
Bケアマネは自身が児童虐待を受けて育った方です。家庭とは帰りづらい場所であり、親は自分を叩く存在でした。
Bケアマネは、Aケアマネに「Aさんは自分が持つ家庭・親子像を通して利用者さん世帯を見ていますよね。あなたが育った環境があなたの価値観をつくり、その価値観であなたは利用者の家族をジャッジしているのですよ」と。
それに気づいてからAケアマネの利用者さん家族に対する援助方針は変わりました。


このように、私たち援助者も人ですから、多様な価値観が形成されており、それを元に利用者さんを見てしまうことは仕方のないことです。
特に日本はまだ多くが日本文化で育ち、ある程度の国民性のような価値観を共有している面があります。
しかし、ソーシャルワークの本場である欧米では、多民族であり、宗教の違いや文化の違いが日本よりも強いです。
ですから、自分の価値観を超えた方が援助対象者である場合が多いのです。そうした時に自分の価値基準で相手を見てしまうことは援助において致命的です。


だからこそ、私たちは『自分がされて嫌なこと』や『自分がされて嬉しいこと』という自分の価値観や判断基準で援助をすべきではないと私は考えています。
介護福祉の専門職であるならば、全てのものをフラットに見ることが大事で、見る主体である自分自身すらフラットに見られることが目指すべきものでしょう。


あと、付け加えるならば、専門職としての教育を受けているということも実はフラットに見なければならないのが現場ではないかと考えます。
学校では王道な価値観や判断基準も現場では違う場合もありますよね。

そして、私もまた、自己覚知や、自分の価値観で相手を見てはいけないという、教育を自分の価値判断基準においているということも俯瞰してみなければいけないということですね。
何が真に利用者さんのための介護福祉なのかを問い続け、悩み考え続けなければならず、それをやめた時に、固定化された価値観で相手をみることが始まるということですね。

難しそうですけど、実は単純なことです。目の前に答えがいらっしゃる、ということを冒頭のクリスティーンさんが教えてくださっているのですから。

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