喪失の五段階に寄り添った介護

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喪失の五段階に寄り添った介護

学生の時に障害者福祉論で、精神科医E・キューブラー・ロス博士の「喪失の五段階」というものを勉強した記憶があります。


「人は喪失時の心理を五段階に分けて受容していく」というものです。



その五段階とは「否認」「怒り」「取引」「抑うつ」「受容」です。




どういう意味でしょう?





後天性障害、確か学生の頃は交通事故で両足を失った人という事例で説明されました。



まず「自分が両足を失うなんてウソだ!!信じられない」という『否認』の時期があります。


そして「あの時追突してきたドライバーが悪いんだ!あいつのせいだ」という『怒り』


そして「でも、補装具や義足があるんだし、また元の生活になれるに違いない」という『取引』


そして「もう嫌だ!自分の人生は終わりだ!こんな体じゃ今までの生活もできない!」という『抑うつ』


そして「同じように足を失っても、障害者スポーツで実績をあげたり、この体験を元に活動している人もいる!よし自分も頑張ろう」という『受容』



このような段階を経て人は“喪失”の心理を受容していくのです。






このようなことを講義で習った記憶がかすかに残っている今日この頃、自分が関わる高齢者の方たちにもこの『喪失の五段階』が当てはまるんだなぁ!と感じるようになりました。



高齢者が喪失するものは個人によって様々です。社会的役割の喪失や、知人縁者が他界してしまって取り残されていく喪失感、そしてもちろん“老い”による身体機能の喪失も大きいものです。



人生に喪失感を経験することは多々あります。しかし、高齢期にある人々は、若い人に比べて日々連続的に喪失感に襲われています。また、その喪失感は簡単には取り戻せないものであり、ほとんどは現実的に取り戻せないものが多いです。そして、取り戻す元気もなかなか持てない時期です。


死んだ配偶者を取り戻すことはできません。脳梗塞によって半身不随になってしまったらほとんどが元通りにはなりません。。。




この喪失感の連続は本当に耐え難いものです。


そして、忘れてはならないのが、このような高齢期においては、その人への周囲の人間の関わりによって、一番大切な『その人らしさ』まで喪失してしまう危険があるということです。

つまり、介護職や家族の関わり次第では、高齢者を“廃人”や“生きている死人”にしてしまう可能性があるということです。



認知症だからといって、長年主婦として家事をやってきた女性から「危ない」という理由で包丁を取り上げたら、その人の役割がまた一つ失われます。
→→→できるかできないかの見極めを介護職がしっかりして、その人がリンゴの皮むきで輝くならばやっていただけばよいのです。


待ちに待った外出も、ナースの「今日は血圧が高いから○○さんは留守番にしましょう」という一言で社会的交流、仲間との交流、生きがい、人間らしさ等を喪失させます。
→→→外出を待ち望んで興奮して血圧が上がっているのかもしれません。一概に高いからと言ってその人の喜びを奪ってはいけません。




これらの積み重ねで、人はその人らしさをどんどん失っていきます。自然に喪失していく以外にも“奪われていく喪失”があるのです。




安全、健康、これらはもちろん大切です。




しかし、日々喪失感の渦中にいる人にとって、一番大切なのは、「その人が最期まで持っているその人らしさを輝かせていられる」ことなのです。


高齢者の周りにいる人間は、喪失したものを必死に取り戻させようとしたり、安全や健康を優先しすぎることがよくあります。それらはもちろん大事なことです。しかし、本人にとってどれだけ大事で、何が本人にとってよいことか?という視点を忘れずに、安全等とのバランスをとりながらアプローチしなくてはならないのです。



実は喪失したものを取り戻す、安全や健康を優先するということは本人を輝かせることより楽なのです。


なぜなら、前者は周りからのアプローチだからです。周りが「決める、させる、してあげる」ことだから、本人は受動的なのです。


逆に本人を輝かせるためには、本人自ら能動的に生きなければなりません。そのために、その人の個人史を知り、その人のニーズを探り、その人に共感し、その人の内面的意識に働きかけ、その人がその人であるための力を働かせるという専門技術を駆使しなくてはならないのです。大変です。



でも、極端な例を思い浮かべてください。


決まったマシントレーニングというリハビリをやらせて、大好きなものを我慢させ、ただその日を過ごして、少し歩行が良くなり長生きする人。


医者も止める遠出を強行し、思い出の地を訪ね、そこで会いたかった人、見たかった景色を見て、帰宅後に人生を終える人。



どっちが輝いていますか?
(長生きの方が良いとも思いますし、ご家族は少しでも長く生きて欲しいと願うかもしれませんが・・・その人らしい輝きを放っているという視点で見てくださいf^-^;)



きっと、後者の方が自分の人生に満足して、輝いていることでしょう。



老いや喪失感は高齢者が日々襲われている辛い現実です。しかし、だからといって、周りの人間はそこから逃げたり、喪失の代替をあてがう様なアプローチをしてはいけません。
老いや喪失感の中にあっても、最後までその人らしさを失わせないように、その人が輝けるフィールドや環境を整えてあげることが大事です。


忘れないでください!!

喪失は誰にでも起こることで、逆らえないことです。それを否定し逆らうのではなく、喪失してもその人らしく生きられること、生きられるような支援を周りがすることこそが最も大事なのです。


余談です(^−^)

先日、以前勤めていた介護会社の忘年会に呼ばれました。現場の最大の悩みは『人がいない!新規が取れない!存続が危うい!』というものでした。

今の職場の悩みは『望まない最期(病院・施設等)に向わざるを得ない利用者に対して、自分たちができることの限界。それを打開するための福祉づくりへの構想』です。


所変われば悩み変わる。良い職場というのは、介護のあり方も変えるものですねぇ・・・

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