そもそも受容と共感を何故するのでしょうか?

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そもそも受容と共感を何故するのでしょうか?

「死にたい」「早く御迎えが来て欲しい」「何で生きてるんだろう」


こんな言葉をおっしゃる利用者さんたちに対してするべきは『受容』と『共感』だと何回か書きました。

「○○さんがいてくれると私は嬉しいです」「まだまだ100までいきましょう」という励ましも必要ではあります。しかし、そのような言葉はまず『受容』と『共感』を行った先に来るものだと思います。



ここで簡単に『受容』と『共感』の意味を改めて説明します。


『受容』は「死にたい」という利用者の言葉を受けて「○○さんは死にたいと思ってるんですね」「○○さんが死にたいとおっしゃるくらい辛い気持ちなのがわかりましたよ」ということです。
つまり、その人がその瞬間にそのような気持ちにあるということを理解し、それが自分に伝わったと伝えることです。

『共感』です。「死にたい」という言葉には様々な理由があると思います。身体が痛い、家族に粗末に扱われる、家族に迷惑をかけている自分、etc
これらの理由“辛さ”に対して同じ気持ちになって辛さ、悲しみを共有することです。自分も経験していることなら共感しやすいでしょう。経験していなければ想像力を働かせなければなりません。もしくは同じような気持ちにある利用者を隣に座らせて、一緒に辛さを共有させることも有効です。


さて、この『受容』と『共感』をされた人はある種の感情を抱くと思います。
自分の身近にいる人が自分を暖かく包み込んでくれていたり、自分を愛してくれている等、誰かが自分の気持ちをわかってくれるという気持ちです。うちの職場では『包みこまれ感情』と呼んでいます。

読者の方に分かりやすく言うと、失恋がよいでしょう。


あなたが失恋した時、辛くて、胸が痛くて、一人で居ることがとても寂しいと思います。友達に電話をしたりメールをしたり、とにかく一人は嫌だ、誰かにこの気持ちを聞いて欲しいと思うものです。そのような経験はありませんか?

この時電話口で「大丈夫!またそのうち良い人みつかるよ!」「きっと笑える日がくるよ」というのは励ましであり、包みこまれ感情は生まれません。

「そっかぁ、辛いよね。私も失恋した時は寂しくて、寝ても泣いちゃうし、誰かに電話したよ」「本当に好きな人だったんだね。今胸が締め付けられるような気持ちだよね」「実は私も最近フラれたばっかりで辛いんだ」と言われたら、あなたはきっと包みこまれ感情を抱くでしょう。


私たちは電話したりメールしたり、買い物やグルメでストレスを発散したり、悲しみを緩和したりできます。仕事に打ち込んでも良いです。それは私たちがまだ元気で若く社会とつながっているからです。


老いて、病気になり、障害を持ち、家族とヘルパーさんとしか顔を合わせられない利用者はどうでしょう?
自分で辛い気持ちを解消することができません。これだけ聞いても少し想像できると思います。常に解消できない辛い気持ちに押しつぶされそうだとしたら・・・・

「もう死んでしまいたい」

そうポツリと言ってしまうのではないでしょうか?

私だって失恋等の辛い気持ちが24時間365日だったら死んでしまいたいですf^-^;


だから、利用者の気持ちを『受容』して『共感』してください。それだけで利用者はかなり救われるでしょう。

利用者が包みこまれ感情を持てたとき、その積み重ねが人間関係、信頼関係になり初めてそこからケアが始まります!!

『ケア』についてはまた書きます!!

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この記事へのコメント
一言                      共感 受容が積み重ねれば信頼 人間関係が生まれケアが出来るとありますが  あたしはそうは思いませんという気持ちが強い              別に共感 受容が悪いと言ってるわけではありませんケアが出来ると言うのが?
Posted by ヒイ at 2008年02月27日 21:56
ヒイさんコメントありがとうございます!

ヒイさんに突っ込まれて改めて考えてみました。記事だと、受容・共感という前提条件があって初めてケアができる、という意味になっていますね。逆に言えば、受容・共感ができないとケアができないと受け取れる内容です。

そうではなく、「受容」も「共感」もケアの一部である!ということでしょうか?確かにそう考えればそちらの方が適切かもしれません。ケアの中に受容や共感がある・・・

このように訂正してみたらいかがでしょうか?それともヒイさんの想いや考えはもう少し違うものですか?
Posted by kinsan at 2008年02月28日 09:52
すっきりしましたよ(*^_^*)
Posted by ヒイ at 2008年02月28日 11:46
最近、連続して「死んでしましたい」という言葉を2人から言われました。
孤独で、体の自由もままならない姿を拝見している中で、もし自分がこういった状況だったらと考えると、利用者さんと同じ気持ちを抱きます。
受容と共感まではできるのですが、それ以後のケアの仕方はないものでしょうか。。。

この言葉を聞くと、ホント、辛いです。


Posted by 青りんご at 2008年02月29日 23:24
青りんごさんコメントありがとうございます!

うちも受容や共感をしても、認知症があり、来週来た時にはまた「死にたい」という方がいます。でも、受容や共感をする中で、少しずつ笑顔が増えたり、うつむきがちな姿勢がシャキっとしてきたり・・・波の繰り返しですね。

もう一人のヒイさんからいただいたコメントで、受容と共感がケアの開始というところにツッコミを受けましたが、訂正させてください。受容、共感以降のケアではなく、受容も共感もケアの一部なんです。他の要素と一緒にケアをしていくんですね!
ケアについては近日書きますので宜しくお願いします!ツッコミお待ちしています!
Posted by kinsan at 2008年03月01日 07:11
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